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淡島寒月氏
あわしまかんげつし
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「露伴全集 第三十卷」 岩波書店
1954(昭和29)年7月16日
初出「早稻田文学」1926(大正15年)4月号
入力者土倉明彦
校正者小林繁雄
公開 / 更新2007-10-10 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 寒月氏は今年七十歳を以て二月廿三日に永逝した。本間久雄氏から、予の知るところの寒月氏を傳へて呉れと依頼を受けたので、ほんとにたゞ予の知れる限りの寒月氏――予の知らぬ他の方面の寒月氏も定めし多いだらうが、それに就ての臆測や聞取りなぞを除いて――を有りのまゝに思出づるまゝに記す。人の事をしるすに、當推量や嘘を交ぜて、よい加減に捏上げるのは、予の好かぬことである。だから以下にしるすことは、予自身の目賭した事か、さもなければ予が氏より直接に聞いたことである。
 氏の極若い時は無論予は知らぬ。然し氏から聞いたところでは、氏は極若い時は當時の所謂文明開化の風の崇拜者で、今で云へば大のハイカラであつたのだ。何でも西洋風の事が好きであつたとの事だつた。氏の父の椿岳氏がまだ西洋樂器が碌に舶來せぬ頃、洋樂の曲を彈奏する日本人などの全然無かつた時に於て、ピアノだつたかオルガンだつたか何でも西洋音樂を殆んどイの一番に横濱で買込み、それから又西洋風の覗き眼鏡を買つて、淺草公園で人に觀せたことが有つたといふ事實などに思合せて、如何にも文明黨だつたらうとも思はれる。
 然し予が氏を知つた時分は、氏は既に日本趣味の人であつた。今でこそ燕石十種は刊本にもあるが、其頃は寫本のみであつたし、大册六十册の完本は非常に珍稀であつた。それで氏はそれを圖書館で毎日毎日氣長に樂み/\影寫してゐられた。毎日借覽する本が定まつてゐるので、圖書館の出納係から云へば、まことに手數のかゝらぬ好い閲覽人で、いつとなく燕石十種先生といふ綽名をつけられたが、予輩の如き卒讀亂讀者流の出納係に手數をかけること夥しい厄介ものとは違つて、館の人とも自然に懇にしあつてゐられた。
 繪は椿岳氏から學ばれたのか何樣か知らない。が、後に至つて自然と何處か椿岳氏と血脈相牽くところの畫を作られたのに比して、早い頃のものは畫は眞面目な、手際のきれいな方のものであつた。
 讀書はヘチ堅いものの方へは向はれ無かつたが、美術、文學、隨筆、雜書方面へは中[#挿絵]廣く渉られ、文學は徳川期、美術は奈良あたりまで、特に美術の方は書籍研究のみで無く、實物研究にも年月を過されたから、其の鑑識眼は實技上の智識が内部から支持するのと相伴つて、直覺的にばかりで無く、比較的にばかりで無く、精髓から出發して看到するところの中[#挿絵]手強いものが有つた。世間慾が盛んで、書畫骨董でも取扱つた日には、學問も文字も相當にあり、愛嬌も有り聰明怜悧の人であつたから、慥に巨萬の富を獲るに足るのであつたが、それでゐて其樣な事で利を得る人を冷眼に見るやうな傾が有つて、そんな事を敢てしなかつたところは、一ツは生活難が無かつた爲でもあらうが、氏のおもしろい氣風のところであつて、傲岸の氣味の無いでも無かつた依田學海氏などの氏を打寛いだ好い友人とした所以であつた。文學に於ても矢張り其氣味が…

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