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八犬伝談余
はっけんでんだんよ
作品ID47122
著者内田 魯庵
文字遣い新字新仮名
底本 「南総里見八犬伝(十)」 岩波文庫、岩波書店
1990(平成2)年7月16日
初出「南総里見八犬伝 下」日本名著全集刊行会、1928(昭和3)年
入力者しだひろし
校正者川山隆
公開 / 更新2009-09-24 / 2014-09-21
長さの目安約 45 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       一 『八犬伝』と私

 昔は今ほど忙しくなくて、誰でも多少の閑があったものと見える。いわゆる大衆物はやはり相応に流行して読まれたが、生活が約しかったのと多少の閑があったのとで、買うよりは貸本屋から借りては面白いものは丸写しか抜写しをしたものだ。殊に老人のある家では写本が隠居仕事の一つであったので、今はモウ大抵潰されてしまったろうが私の青年時代には少し旧い家には大抵お祖父さんか曾祖父さんとかの写本があった。これがまた定って当時の留書とかお触とか、でなければ大衆物即ち何とか実録や著名の戯作の抜写しであった。無論ドコの貸本屋にも有る珍らしくないものであったが、ただ本の価を倹約するばかりでなく、一つはそれが趣味であったのだ。私の外曾祖父の家にも(今では大抵屏風の下貼や壁の腰張やハタキや手ふき紙になってしまったが)この種の写本が本箱に四つ五つあった。その中に馬琴の『美少年録』や『玉石童子訓』や『朝夷巡島記』や『侠客伝』があった。ドウしてコンナ、そこらに転がってる珍らしくもないものを叮嚀に写して、手製とはいえ立派に表紙をつけて保存する気になったのか今日の我々にはその真理が了解出来ないが、ツマリ馬琴に傾倒した愛読の情が溢れたからであるというほかはない。私の外曾祖父というは決して戯作好きの方ではなかった。少し常識の桁をはずれた男で種々の逸事が残ってるが、戯作好きだという咄は残っていないからそれほど好きではなかったろう。事実また、外曾祖父の遺物中には馬琴の外は刊本にも写本にも小説は一冊もなかった。ただ馬琴の作は上記以外自ら謄写したものが二、三種あった。刊本では、『夢想兵衛』と『八犬伝』とがあった。畢竟するに戯作が好きではなかったが、馬琴に限って愛読して筆写の労をさえ惜しまず、『八犬伝』の如き浩澣のものを、さして買書家でもないのに長期にわたって出版の都度々々購読するを忘れなかったというは、当時馬琴が戯作を呪う間にさえ愛読というよりは熟読されて『八犬伝』が論孟学庸や『史記』や『左伝』と同格に扱われていたのを知るべきである。また、この外曾祖父が或る日の茶話に、馬琴は初め儒者を志したが、当時儒学の宗たる柴野栗山に到底及ばざるを知って儒者を断念して戯作の群に投じたのであると語ったのを小耳に挟んで青年の私に咄した老婦人があった。だが、馬琴が少時栗山に学んだという事は『戯作者六家撰』に見えてるが、いつ頃の事かハッキリしない。医を志したというは自分でも書いてるが、儒を志したというは余り聞かない。真否は頗る疑わしいが、とにかく馬琴の愛読者たる士流の間にはソンナ説があったものと見える。当時、戯作者といえば一括して軽薄放漫なる[#挿絵]々者流として顰蹙された中に単り馬琴が重視されたは学問淵源があるを信ぜられていたからである。
 私が幼時から親しんでいた『八犬伝』というは即ちこの外曾祖…

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