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ディカーニカ近郷夜話 前篇
ディカーニカきんごうやわ ぜんぺん
副題05 五月の夜(または水死女)
05 ごがつのよる(またはすいしおんな)
著者
翻訳者平井 肇
文字遣い新字旧仮名
底本 「ディカーニカ近郷夜話 前篇」 岩波文庫、岩波書店
1937(昭和12)年7月30日
入力者oterudon
校正者伊藤時也
公開 / 更新2009-09-02 / 2014-09-21
長さの目安約 67 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 とんとどうも分らない! 堅気な基督教徒が何かを手に入れようとして、まるで猟犬が兎を追つかけるやうに、あくせくとして骨を折つても、どうしても旨くゆかないやうな場合に、そこへ悪魔めが荷担して、奴がちよつと尻尾を一つ振らうものなら、もうちやんと天からでも降つてわいたやうに、ひよつこり望みの品が現はれてゐるのだ。

     一 ハンナ

 高らかな歌声が×××村の往還を川水のやうに流れてゐる。それは昼間の仕事と心遣ひに疲れた若者や娘たちが、朗らかな夕べの光りを浴びながら、がやがやと寄りつどつて、あの、いつも哀愁をおびた歌調にめいめいの歓びを唄ひだす時刻であつた。もの思はしげな夕闇は万象を朦朧たる遠景に融かしこんで、夢見るやうに蒼空を抱擁してゐる。もう黄昏なのに歌声はなほ鎮まらうともしない。村長の息子のレヴコーといふ若い哥薩克は、*バンドゥーラを抱へたまま、こつそり、唄ひ仲間から抜けだした。彼の頭には仔羊皮の帽子が載つてゐた。彼は片手で絃を掻き鳴らしながら、それにあはせて足拍子をとつて往還を進んでゆく。やがて、低い桜の木立にかこまれた一軒の茅舎の戸口にそつと立ちどまつた。それはいつたい誰の家だらう? 誰の戸口だらう? ちよつと息を殺してから、彼は絃の音に合はせて唄ひだした。
バンドゥーラ ギターに似た四絃琴で、小露西亜独特の楽器、我国の琵琶のやうに物語の吟詠の伴奏にも用ゐる。

お陽さま落ちて、ばんげになつた、
さあ出ておいで、恋人さん!

「いや、あの眼もとの涼しいおれの別嬪は、ぐつすり寝こんでゐると見える。」哥薩克は歌をやめると、窓際へ近づいて呟やいた。「ハーリャ、お前ねむつてるのかい、それともおれの傍へ出てくるのが嫌なのかい? おほかたお前は、誰ぞに見つかりはしないかと思ふんだらう、でなきやあ、その白い可愛らしい顔を冷たい夜風にあてるのが嫌なんだらう、きつと。それなら心配おしでないよ、誰もゐやしないし、今夜は暖かだよ。もしか誰ぞが来ても、おれがお前を長上衣にくるんで、おれの帯をまいて、両腕で隠してやるよ。――さうすれあ、誰にも見つかりつこなしさ。もしまた冷たい夜風が吹きつけても、おれがしつかりとお前を胸へ抱きしめて、接吻でぬくめて、白い可愛らしいお前の足にはおれの帽子をかぶせてやるよ。おれの心臓よ、小魚よ、頸飾よ! ちよつとでも顔を出しておくれ。せめてその白い小さい手だけでも、窓からさし出しておくれ……。ううん、お前は寝ちやあゐないんだ、この意地つぱり娘め!」彼は、ちよつとの間でも卑下したことを恥ぢるやうな調子で、声を高めた。「お前はこのおれをからかふのが面白いんだな。ぢやあ、あばよだ!」
 彼はくるりと背をむけて、帽子を片さがりに引きおろすと、静かにバンドゥーラの絃を掻きならしながら、つんとして窓をはなれた。その時、戸口の木の把手がことりと[#挿絵]つた。…

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