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ディカーニカ近郷夜話 後篇
ディカーニカきんごうやわ こうへん
副題03 怖ろしき復讐
03 おそろしきふくしゅう
著者
翻訳者平井 肇
文字遣い新字旧仮名
底本 「ディカーニカ近郷夜話 後篇」 岩波文庫、岩波書店
1937(昭和12)年9月15日
入力者oterudon
校正者伊藤時也
公開 / 更新2009-09-30 / 2014-09-21
長さの目安約 91 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

      一

 キエフの街はづれで、わいわいと騒々しい物音が聞えてゐる。それは哥薩克の大尉、ゴロベーツィが、息子の婚礼の祝宴を張つてゐるのであつた。大尉の邸へは夥しい来客が詰めかけてゐた。昔は何かといへば鱈腹つめこんだものだ。鱈腹つめこむといふよりは、うんと飲んだものだ。うんと飲むといふよりは、羽目を外してドンチャン騒ぎをやつたものだ。ザポロージェ人のミキートカも栗毛の駒に跨がつて、七日七夜のあひだ、波蘭王麾下の貴族たちに血汐の酒の大盤振舞をやつたペレシュリャーイが原から、まつすぐに乗り込んで来た。また、大尉とは義兄弟の契りを結んでゐるダニーロ・ブルリバーシュも、ドニェープルの対岸の、山と山との峡にある領地から若い妻のカテリーナと当歳の息子を伴れてやつて来た。客人たちはカテリーナ夫人の雪を欺くやうな顔や、独逸天鵞絨のやうに黒々とした彼女の眉毛や、凝つた上衣や、浅葱の古代絹の下袴や、銀の踵鉄を打つた長靴の素晴らしさに度胆を抜かれたが、それにもまして、彼女の老父がいつしよに来なかつたことを奇異に思つた。その老人が、ドニェープルの対岸に住むやうになつたのは、やつとここ一年ほどのことで、それまでの二十一年間といふものは、全く行方不明になつてゐた。それがやうやく我が娘の許へ帰つて来た時には、娘はもう嫁入りをして、一人の男の子の母となつてゐた。その老人が来てゐたなら定めし様々の珍らしい物語をして聴かせたことだらう。まつたく、そんなに永らく異端の地で暮したものに、珍らしい話のない筈はない! あちらでは何もかもが異つてゐる。住民もまるで異へば、基督の会堂といふものもない……。だが、しかしその老人はやつて来なかつた。
 客の前へは、乾葡萄と梅の実の入つた混成酒や、大きな皿にのせた婚礼麺麭が運ばれた。楽師どもは暫し音楽をやめ、鐃[#挿絵]や提琴や羯鼓をかたへに置いて、貨幣の焼き込んである婚礼麺麭の底を熱心に探つた。一方、新造や娘たちは刺繍のある手布で口ばたを拭つて、再び自分たちの列から前へ進み出た。すると若者どもは両脇に手をかつて、誇りかにあたりへ眼を配りながら、まさに彼女たちを迎へて踊り出さうとした――丁度その時、新郎新婦を祝福するために老大尉が二つの聖像を捧げて現はれた。その二つの聖像は高徳の誉れ高い苦業僧*ワルフォロメイ聖者から授けられたものであつた。それには何らきらびやかな飾りもなく、金銀の燦やきとてはなかつたが、それを我が家に祠る者に対しては、如何なる悪霊も危害を加へることが出来なかつた。今しもその聖像を高くかざしながら、大尉が短かい祈祷をのべようとした、ちやうどその時……地べたに遊び戯れてゐた子供たちが、不意に怯えて、わつと泣き出した。それに次いで、群集がたじたじと後ずさりをしながら、怖れおののいて、一同のまんなかに立つてゐる一人の哥薩克を指さした。それがいつた…

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