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湖光島影
ここうとうえい
副題琵琶湖めぐり
びわこめぐり
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「現代日本紀行文学全集 西日本編」 ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日
入力者林幸雄
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2005-09-23 / 2014-09-18
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 比叡山延暦寺の、今、私の坐つてゐる宿院の二階の座敷の東の窓の机に凭つて遠く眼を放つてゐると、老杉蓊鬱たる尾峰の彼方に琵琶湖の水が古鏡の表の如く、五月雨霽れの日を受けて白く光つてゐる。湖心の方へ往復する汽船が煙を吐いて靜かに滑つてゆくのも見える。帆船が動いてゐるのも見える。そのあたりは山の上から眺めても湖水が最も狹められてゐる處で、向ふ側から長く突き出して來てゐる遠洲は野洲川の吐け口になつてゐる。北方(西岸)から突き出てゐる所に人家が群つてゐて、空氣の澄明な日などには瓦甍粉壁が夕陽を浴びて白く反射してゐる。やがて日が比良比叡の峰つゞきに沒して遠くの山下が野も里も一樣に薄暮の底に隱れてしまふと、その人家の群つてゐる處にぽつりぽつり明星のごとき燈火が山を蔽うた夜霧を透して瞬きはじめる。その賑やかな人家の群りが先頃から、京都の繁華を離れて此の無人聲の山の上の僧房生活をしてゐる者の胸には何となく懷しくて堪らない。人里の夜の燈火のむれがどんなに此の山の上からは心を惹くか知れない。そこは八景の一つに數へられてゐる堅田の町であつた。堅田の町、秋ならば雁の降りる處。また浮御堂の立つてゐるので知られてゐる名勝區である。叡山東麓の坂本からこの延暦寺の根本中堂のあるところまで急阪二十五町の登路。坂本から堅田までは汀づたひに二里弱離れてゐるから、私の凭つてゐる窓から燈火の見えてゐる處まで直徑どのくらゐあるか、私は兎に角、早く一度そちらに降りていつてみたくなつた。

 琵琶湖はまた鳰の海ともいひ、その名の如く琵琶に似て、瀬田、膳所、大津などの湖尻から三里ばかり北に入つてゆく間は東西の幅も一里位のもので、それが野洲河口の長沙と堅田の岬端とで狹められてゐる邊は約半里くらゐのものかも知れぬ。それだけの間が恰も琵琶の轉軫の部分である。所謂近江八景は「比良の暮雪」のほかは、多く湖南に屬する地點を撰んで名附けてあるが、今日の如く西洋文明の利器に涜されない時代には、その邊の風景も落着いてゐて一層雅趣が豐であつたかも知れぬ。その頃は唐崎の松も千年の緑を誇つてゐたのであらう。膳所の城もその瓦甍影を水に[#挿絵]してゐたであらう。粟津が原の習々たる青嵐も今日のごとく電車の響のためにその自然の諧音を亂されなかつたであらう。芭蕉は殊のほかこの湖國の風景を愛でて、石山の奧には長く住んでゐたのであるが、翁の詠んだ句には湖水の深い處の句は、自分の寡聞のせゐか餘り知らない。多く湖南に屬する景物を吟じてゐる。
唐崎の松は花よりおぼろにて
 と大津にゐて詠んでゐる句を見ると、二百年前にはそれが實景であつたかも知れぬが、今はもう半ば枯れて空しく無慘な殘骸を湖畔に曝してゐる。それは樹齡の定命で自然にさうなつたものか、それならば止むを得ないが、汽船の煤煙で枯れたものとすれば惜しいものである。
 とにかく堅田、野洲川河口の長沙…

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