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形容詞の論
けいようしのろん
副題――語尾「し」の発生――
――ごび「し」のはっせい――
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 12」 中央公論社
1996(平成8)年3月25日
初出「東洋語学乃研究」1932(昭和7)年12月
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2008-12-19 / 2014-09-21
長さの目安約 46 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

文法上に於ける文章論は、非常に輝かしい為事の様に見られてゐる。其が、美しい関聯を持つて居る点に於いて、恰、文法の哲学とでも言ふ様に、意味深く見られてゐるやうだ。私は常に思ふ。文章論は言語心理学の領分に入れるべきもので、文法から解放せられなければならない。文法は結局、形式論に初つて形式論に終る事を、覚悟してかゝらなければならないのである。総ての学問のうちに、最実証的でなければならぬ筈の文法にして、而も精神分析に似た傾きを持ち、その過程に於いて理論的の遊戯に堕するものが殖えて来たのも、この文章論の態度が総てに及ぶからだと言ふのである。此処にかうした平生の考への一端を漏すのは、外ではない。単語の組織の研究が、結局は文章の体制に就いての根本的な理会を与へるものだ、と思ふからである。
形容詞の発生を追及して行く事は、同時に、日本文章組織の或一面の成立を暗示する事になるだらうと考へるのだ。国語に於ける所謂、形容詞の生命を扼するものは、その語尾なる「し」である。
かなし妹  めぐし子
くはし女  うまし国
かたし磐  まぐはし児ろ
とほ/″\し高志の国
うらぐはし山(?浦妙山)
かうした熟語の形は、後世までも影響を残して居つて、日常語のうちにも、擬古的表現を用ゐるものには、時々現れて来る。けれども、大体から言へば、我々の持つて居る後期王朝の用語例を基礎として、若干その前後の時代のものを包含した文法に対しては、やはり時代を別に劃した方が適切である。端的に言へば、私は最近まで、この「し」を以て語根の一部分と見てゐた。即、今述べた文法時代の、更に今一つ前の時代に、語根体言として用ゐられ、又真実に感ぜられて居つたものが次第に、かうした「し」の部分だけを、その屈折と見做す理会が嵩じて来て、一種の用言観念を生じて来たもの、と言ふ考へを、久しく固守してゐた。唯、わが古文献は、先に述べた文法時代のうち、第三期の材料は非常に多く残つてゐるに繋らず、第二期既に尠く、第一期に至つては、恰、化石の散列から有形を想像するより外に方法がない程、材料が残つてゐない。さうした間から我々は、まづ語根の末尾に「し」或は「s」に似た音を共有した多くの例を見いださなければならない。処が、我々の探求する事の出来るものは、単に形容詞の語尾か或は語根の屈折したものかの判断にすら、迷はなければならない例があるに過ぎない。其で、私はこの側の主張をさし控へると共に、どうしてさう言ふ考へ方をせねばならなかつたか、と言ふ径路を示す事が、もつと新しい考へを形容詞の語尾の研究に与へる事になりさうに思ふ。
私は動詞・形容詞に通じて、語尾発生の規則らしいものゝあるを考へてゐた。其は、語根の尾音が子音であつて、その屈折が母音を包含する様になる。譬へば、動詞に於いては、「う」列音を派生する事に依つて、まづ終止形が出来る。さうして、更に自由…

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