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言語の用語例の推移
げんごのようごれいのすいい
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 12」 中央公論社
1996(平成8)年3月25日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2009-05-09 / 2014-09-21
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

言語の用語例の推移の問題は、今よりももつと盛んに研究せられてよいことゝ思ふ。凡どんな語にも、語原又は第一義にとゞまつてゐると言ふのは見られないのが、事実である。
我々の国に、語彙の撰述がはじまつてから、随分長い年代を経てゐる。殊に明治以後は、外国の辞書編纂の方法などが参考せられて、相応な効果があがつて来てゐる。だが其等の本に、語々の意義を発生的に記したものと見られるものがあるだらうか。第一義から、正しく順を逐うて、並べてあると思はれぬものが多い。其と今一つ、辞書記述の上には表し難いことだが、略語について、一往の反省をしてもよいと思はれるふしが多い。此は必しも辞書に限つたことではない。一般の語意研究の上にも、語の中に或は、語の裏に張りついて、消極的な表現をしてゐる場合が、よほどのぶあひを持つてゐる。却て句や文章の省略などになると、其を通過せぬことには、解釈がつかぬことになるので、曲りなりにも、省略法など言ふ語で、この消極表現を言うてゐることがある。
併し実は、そんな稀にしか現れて来ないと謂つた現象ではない。あまりあり過ぎて、話しながら不注意に通つて居る。その間に、其等の省略せられた形だけに添うて、其なりの別殊の妥当性を抽き出して遣つてゐる。すると逆に語原を追求して、其らしいものに想到して、仮りの安定状態を得てゐると言つたことが多い。此為に、――語原学方面はまづよいとして――解釈学の方面では、相当な失敗を重ねて来てゐる。
正確な比較研究に立つて言ふのではないが、此略語作用と言ふべきものが、日本語には殊に激しいやうであり、日本語発達の径路に、其が不思議な単純化性能を表したり、表現を自由・柔軟にしてゐる所が多いと言ふことが出来る。

私は、日本語の副詞表情に、気をとられて凡半生を過して来た。旧来の思慕の情調を湛へた日本の文章・詞章の、国人の心をおびく美しさも、之にかゝつてゐることが多いと信じてゐる。自分で書く章段も、副詞表情を発揮することに費されて来た気がする。まして古代・中世の文学・非文学を通じて、文体の中心になつて居るものは、副詞句――副詞状・形容詞状の叙述語句をこめて――だと考へられて、久しくこの方面に注意だけはして来た。私よりも若い日本言語学者の誰かのさゝやかな出発点にでもなればよいと思ふのである。

うたたと言ふ語は、漢字「転」の訳語として、今も文語の上には、命の破片のやうなものを残してゐる。が、之をも一度近代訳することになると、骨の折れる語になつてしまつてゐる。新撰字鏡には載つてゐない。類聚名義抄には、カヒログ以下十四訓ほどの註がある。其中、マハス・カハル・ウツル・メグルなどは、今日我々の使用例と違はない。クルベクなどは、我々には遠くなつて居るが、器物や地理の名にあるから、なる程と思はれる。トコカヘリは輾転反側をさう訳したので、歴代の支那字典には出て来る…

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