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唱導文学
しょうどうぶんがく
副題――序説として――
――じょせつとして――
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 4」 中央公論社
1995(平成7)年5月10日
初出「日本文学講座 第二巻」改造社、1934(昭和9)年8月
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2009-09-25 / 2014-09-21
長さの目安約 34 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

唱導文学といふ語は、単なる「唱導」の「文学」と言ふ事でなく、多少熟語としての偏傾を持つて居るのである。事実において、唱導文学は、説経文学を意味しなければならぬのであるが、わが国民族文学の上には、特に説経と称するものがあり、又其が唱導文学の最大なる部分にもなつてゐる。だが、その語自身、あまり特殊な宗教――仏教――的主題を含んでゐる為、其便利な用語例を避けて、わざ/\、選んだ字面であつたのである。其れが今日では、既に多少普遍化して来て、又語らざるに、却て仏教的な説経文学の意義に考へられかけて居る。実は、もうさうなつてもよい、と考へてゐる私である。元、漂遊者の文学、巡游伶人の文学などゝ命けて、考察を続けて来た間に、その頃此国の文学史家が、徐ろにとり入れかけたのが、もうるとん氏の文学論及び文学史に関する諸論文であつた。右の先輩の文学に対する態度は、其前から盛んであつた仏蘭西の民俗学的な研究法から、甚しく影響を受けたものであつた。其だけにおなじく、民俗学的態度に拠る事の多い私どもの研究法からは、極めて些細な点までも、差異が見え透いた。あめりか流に常識化したやりくちが、如何にも気易げに感ぜられたのであつた。そのもうるとん氏を立てる方々の間に、漂流文学と言ふ術語が喜ばれ出した時期があつた。で其混乱を避ける為に、わざと唱導文学の字面を採ることにもしたのであつた。だから、宗教以前から、その以後までを包含してゐる訣なのだ。
殊に民俗文学の発生を説く事に力を入れたい、と言ふ私自身の好みからは、是非とも此点を明らかにしておかうと考へる。さうして同時に、「非文学」及び「文学」を伝承、諷誦する事によつて、徐々に文学を発生させ、而も此同じ動向を以て、文学を崩壊させて行く、団体の宗教的な運動を中心として見ると謂つたところを、放さないで行きたいものである。

      文学は旅行する

題目の少し、効果的である事は恥しいが、殆ど宿命的に、唱導文学には、旅行と言ふことがついて廻つて居たのである。まづ発生の第一歩からして、さうであつた。さうして、「非文学」が次第に、文学となつて行つて居る間にも、一方絶えず、旅行が文学となつて居た。其ほど文学は、旅行そのものであつた。私は実際口のすつぱくなるほど、異人の文学と言ふものを説いて来た。常世と称する異郷から、「まれびと」と言ふべき異人が週期的に、此土を訪れたのである。さうしてその都度、儀礼と呪詞とを齎らした。儀礼が大体において、祭祀となり、芸術的には、演劇と舞踊と、又若干の奇術とを分化した。呪詞は常に、同一詞章のくり返されてゐる間に、次第に小区分を生じ、種々の口頭伝承を分化した。何故文学が、非文学から生じたかと言ふ事の、第一条件となるものは、さうした来訪者の口唱する呪詞の固定である。だが、其よりも先に大切な事は、その人々は、実は旅行者でなく、ある邑落と…

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