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日琉語族論
にちりゅうごぞくろん
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 12」 中央公論社
1996(平成8)年3月25日
初出「民族学研究 第十五巻第二号」1950(昭和25)年11月
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2009-05-12 / 2014-09-21
長さの目安約 51 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

完全な比較研究が、姑く望まれない。単に類似点を、日琉語族の間につきとめて行くと言ふ程度のものにとゞまるであらう。唯さう言ふ簡単な為事も、人文地理上の変革から、問題にせられなくなる時が来ないとも限らぬと思ふ。その不安から、この小論文は纏めておく気になつたのである。日琉同祖観による長いよしみの記念ともなれ、と思ふ記録に過ぎない。

日本語・沖縄語は、今日では、疑ひもない同系の語だと定つてゐる。だが仔細に観察すると、その両方の語の含んでゐる古格の言語表情が、可なり複雑な姿を見せてゐて、さう言ふところに、尋常一様ではいかぬ文法上の問題があるのではないかと言ふ気持ちの、時々の偶感には、起つて来るものがある。其と共に、尚一層熟考してゐる中に、両者の間の相違点と思はれたものが、存外却てこの二つの語族のきり放されぬ関繋にあることを示してゐる、さういふ事に心づく。――かう言ふ経験が、私には屡[#挿絵]あつた。かう言ふ点も、私だけに限つた感情か、其とも、誰の上にも起つて来る普遍質を持つたものか、さう言ふことを考へて見ようと思ふのである。
私の之に続けて書かうとする第一部は、私個人にとつては、久しい懸案で、殆ど書かないまゝで四十年に近い年月を経た。その間に、進んだ学者は既に、幾分その成迹の報告をしてゐられる。大正初年の「東亜の光」に出された、坪井九馬三博士の論文は、その有力なものであつたと記憶する。私の此から引用する若干の例の中、既にその論文に出てゐるのもあるほどで、私としては自由に考へて来たことながら、どんな点かで、そのおかげと影響とを受けてゐるかも知れぬのである。

   第一部 日本語の語序

     一 下何

後代の語序からすれば、「簾下」「沓下」と言ふ所を、古くは、下簾「シタスダレ」、韈「シタウヅ」と、全く逆装法を以つて言つてゐる。かう言ふ考へから出発して行かう。
簾或は他の器用の下に、更にかけられてゐる簾を言ふからの名の下簾ならば、問題はない。又、靴の沓の下に今一重別にはいてゐるので、下沓と言ふのだとすれば、此も亦あたりまへである。ところが、下簾・韈は、さう言ふものではなかつた。
車の正面にかけた簾の下に垂れる布類の名が下簾であり、沓の下にはく足袋のやうな類をしたうづ(したぐつ)と言つたのである。この二例とも、平安時代の言語の気分の多い語なのだが、其前にも既に言つてゐたのではないか。したぐつの方は、万葉巻十六にも、「二綾下沓」と言ふ語が出てゐる。沓下として穿ちはいた二重紋綾の足袋なのである。
「……をちかたのふた綾下沓、とぶとりの飛鳥壮夫が霖禁(普通ながめいみと訓む)縫ひし黒沓」と言ふ続き合ひを見ると、右の沓下と、それからその上に、飛鳥郷人の霖雨期間に謹慎をして縫ひあげた黒沓をはいてゐると言つた姿で、沓と韈の著用次第もよくわかるし、語の時代は又溯つて藤原奈良時代或…

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