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真珠の首飾り
しんじゅのくびかざり
副題――クリスマスの物語――
――クリスマスのものがたり――
著者
翻訳者神西 清
文字遣い新字新仮名
底本 「真珠の首飾り 他二篇」 岩波文庫、岩波書店
1951(昭和26)年2月10日
入力者oterudon
校正者伊藤時也
公開 / 更新2009-08-09 / 2014-09-21
長さの目安約 39 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

      [#挿絵]

 さる教養ある家庭で、友人たちがお茶のテーブルをかこみながら、文学談をやっていた。やがて仕組みとか筋とかいった話になる。なぜわが国では、そうした方面がだんだん貧弱でつまらなくなって行くのだろうと、口々に慨歎する。わたしはふっと思い出して、亡くなったピーセムスキイの一風変った意見を披露した。彼によると、そうした文学上の不振は、まず第一に鉄道がふえて来たことと関係がある、けだし鉄道は商業にとってこそ有益だが、文芸にはむしろ害をなす、というのである。
「今日の人間はずいぶん方々を旅行してまわるが、ただそれが手っとり早い暢気な旅なのだ」と、ピーセムスキイは言うのである、「だから別にこれという強烈な印象ものこらないし、とっくり観察しようにも、相手の物もなければ暇もないから、――つまり上っ滑りになってしまう。だから貧弱になるわけだ。ところが昔はモスクヴァからコストロマーまで、替馬なしで乗りとおすなり、乗合馬車で揺られて行くなり、宿場宿場で乗り換えて行くなりしてみれば、――とんだもうろう馭者にぶつかることもあろうし、図々しい相客に出くわすことも、はたごの亭主が悪党で、おさんどんが鼻もちのならぬ不潔もの、といった悲運に際会することもあるわけで、たんと色んな目にあえるというものである。おまけにとうとう堪忍ぶくろの緒が切れたとして(たとえばスープの中に何か変てこなものがはいっていたのでもいい――)、そこでそのおさんどんを怒鳴りつけてでもみたまえ。向うはその返礼に、十そう倍もの悪態を投げ返してくることになって、その印象たるやちっとやそっとでは抜け出られぬ深刻なものがあろうことは、まずもって請合いである。しかも印象がぐつぐつと胸の底のへんに畳なわっている有様は、一日一晩オーヴンの中へ入れっぱなしで醗酵させた麦粥にことならず、――だからつまり、書く物のなかへだって、ぐつぐつと濃く出てくるのは理の当然である。ところで今日じゃ、そうした一切が鉄道式のテンポで運ばれるのだ。皿を手にとる――問答無用である。口へ抛り込む――噛むなんて暇はない。ジリジリジーンと発車のベルが鳴りだせば、もうそれで万事休すだ。汽笛一声、またポッポッポと出てゆく。そして残る印象といえばせいぜい、ボーイが釣銭をちょろまかしおったということぐらいなもので、そいつを腹の虫のおさまるまで取っちめてやろうにも、今や時すでに遅しなのである」しかじか。
 すると客の一人が乗りだして、なるほどピーセムスキイの見方は一応おもしろいが、惜しむらくは当っていないと言い、ディッケンズの例をもちだした。この作家は、すこぶるスピード旅行のはやる国でものを書いたのだが、それでいてその見聞も観察もなかなか豊富で、その小説の筋には、別段これといった内容の貧寒さは見られないではないか、というのである。
「もっともこれは、彼の書…

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