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ジェイン・グレイ遺文
ジェイン・グレイいぶん
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本幻想文学集成19 神西清」 国書刊行会
1993(平成5)年5月20日
初出「セルパン」1932(昭和7)年11月
入力者門田裕志
校正者Juki、小林繁雄、川山隆
公開 / 更新2008-01-18 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 チュドル王朝第三代エドワアド六世の御宇のこと、イングランドのほぼ中央リスタアの町に程遠からぬ、ブラッドゲイト城の前庭を、のちのエリザベス女王の御教育掛、碩学ロウジャ・アスカムが横ぎつて行く。季節は卯薔薇の花乱れ咲く春、それも極くのどかな午さがりと思ひたい。霧の深い秋のことではなかつたらう。アスカムの齢は三十六か七か、それにしては悠々たる足どり。やがて城を登る。が、小肥りの躯をつつむ寛い黒衣の影を石階の日溜りに落したまま、暫しは黙然と耳を澄ます。遥かチャアンウッドの森を伝つて来る笛の音こそ、城の主、のちのサフォオク公ヘンリイ・グレイが、奥方はじめ一統を引き連れての、徒然の狩遊びと見えた。四つの櫓のそそり立つ方形の城の中は、森閑として物音もない。絵のやうに霞むリスタアの風物のさなか、春の日ざしに眠つてゐる。
「長閑なことよ。御一統には狩遊びと見ゆる」
と、出会ふた侍女にアスカムは声を和らげて問ふ。侍女は上眼づかひに「御館に残らるるは上の姫様だけ」と答へる。「ジェイン様か、それは。」碩学の肉づきのいい額を、かすかに若皺が寄る。身を飜して、日も射さねば仄暗い拱廊をやや急ぎ足に渡つて行く。黒い影が、奥まつた急な階段をものの二丈ほど音もなく舞ひ昇つて、やがて上の姫の居間の閾に立つた。丈の高い樫の椅子が、厳つい背をこちらへ向けて、掛けた人の姿はその蔭にかくれて見えぬ。雪のやうな裳すそのみゆたかに床に這ふ。
「姫!」と呼んだ。
 届かぬ沓の爪先をやつと床に降して、ジェインは振り向く。二つに分けた亜麻色の垂髪は、今年わづかに肩先を越えたばかり、それを揺つて澄みかへつた瞳を、師と呼べば呼べる人の面に挙げた。
「まあ、アスカム様。」
 読みさしの書を傍の小卓のうへに押しやつて、数へ年十五の姫は立つた。アスカムはその手を止めて、手ざはりの粗い頁のうへ、刷りの黄ばんだ希臘文字に、すばやく眸を走らせる。
「フェエドンを読まれてか?」
と、ややあつて訊く。姫は巴旦杏のやうに肉づいた丸い脣を、物言ひたげに綻ばせたが、思ひ返したのかそのままに無言で点頭いた。アスカムは窓に満ちる春霞の空へと眼を転ずる。揚げ雲雀の鋭い声が二つ三つ続けざまに、霞を縦に貫いて昇天する。やがて彼が優しく問ひかけた。
「あの雲雀のやうに春の日を遠慮なしに浴びるのはお厭か。なぜに父御と一緒に狩に興ぜられぬ?」
 ジェインは微笑んだ。智に澄んだ瞳のやや冷やかな光がその漾に消える。
「園の遊びごとは」と彼女が言ふ、「プラトンの書に見る楽しみにくらべて物の数には入りませぬ。まことの幸の棲処もえ知らぬ、世の人心のうたてさ。」……


 古への物語はやはり古風な話し振りをせねばならぬので骨が折れる。が兎に角、一五五一年、時の碩学ロウジャ・アスカムがブラッドゲイトの城にジェイン・グレイを訪ねて、その叡才に舌を捲いた折の情景は、僕未…

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