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支那の思出
しなのおもいで
作品ID47253
著者国枝 史郎
文字遣い新字新仮名
底本 「国枝史郎歴史小説傑作選」 作品社
2006(平成18)年3月30日
初出「東方公論」1939(昭和14)年12月
入力者門田裕志
校正者阿和泉拓
公開 / 更新2010-12-22 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私が支那へ行ったのは満洲事変の始まった年の、まだ始まらない頃であった。
 上海、南京、蘇州、杭州、青島、旅順、大連、奉天と見て廻った。約一ヶ月を費した。
 汽船は秩父丸であった。船がウースン河へ這入り、岸の楊柳が緑青のような色に萌え、サンパンだのジャンクだのが河の上をノンビリと通っている風景は美しかった。
 デッキに立ってそういう風景を見ていると、同伴の妻が突然声を上げて河の一所を指さしたので私は其方を見た。
 一隻の小船が、日傘をさした男と船夫とを乗せて、ノタノタと動いていたが、その横を通った大きな汽船の余波を食って、転覆しかかっているのであった。とうとう転覆して、日傘の男も船夫も河中へ落ちた。
 ところが日傘の男は片手で依然として日傘をかざし、片手で船縁へ取付いて悠然として流されてい、船夫の方は、これも船縁に取付いたまま悠然と流されているではないか。悲鳴も上げなければ助けも乞わない。そうしてその附近を上下している沢山の小船の人も、別にあわてて助けようともしない。
 そのうちに私の秩父丸は行過ぎて了ったので、難破した二人の人間の運命がどうなったかしらないが、あんな場合にも周章てず騒がず、日傘を大切そうに空へかざして、船と共に流されて行った支那人の姿は、いつ迄も私の眼底に残っていた。
 大陸に生きる人間の一つのポーズを見たと思った。
      ×     ×      ×
 杭州の西湖の岸を散策した時、私は道端で、埃だらけになっている大根の、漬物を買った。この道端で売っている支那の大根漬ほど美味の漬物を、まだ私は他で味わったことが無い。しかも又廉価であるのにも驚かされた。そうして、それを売っている老人や、老婆の不潔なのにも驚かされたものだ。
 私は、その大根漬売りの老人を相手に、通弁を通して話してみた。
「息子はあるかね?」
「有ります」
「孫は?」
「有ります」
「そんな商売をしていて金持になる見込みがあるかね?」
「私が金持に成らなければ伜が成るでしょう。伜が成らなければ孫が成るでしょう。私たちは、三代先のことを考えて生活しております」
「…………」
 私は、自分が負けたような気がしてその老人から離れ、そうして、此処も大陸に生きる人間の心構えの一つを見せられたような気がした。
      ×     ×      ×
 南京では中山陵も見た。いうまでもなく、中山陵は、ヤングチャイナ建設の偉人孫逸仙を祀った陵である。
 私は陵の中へ這入り、神祀に対して、心からの黙祷をした。長く長く十分間もした。
 それは私が孫逸仙に対して、尊敬と親愛とを持っているからである。親愛というのは私が早稲田の英文科の予科生として、鶴巻町の下宿にいた頃、孫逸仙も、同志の黄興や宋教仁と共に、矢張り鶴巻町の旅舎にいて、大隈侯邸などへ出入していた姿を見かけたことがあるからである。
 …

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