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謡曲と画題
ようきょくとがだい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「青眉抄・青眉抄拾遺」 講談社
1976(昭和51)年11月10日
入力者川山隆
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2008-05-04 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 下手の横好きと言いますか、私は趣味のうちでは謡曲を第一としています。
 ずっと以前から金剛巌先生について習っていますが今もって上達しません。べつだん上手になろうともしないせいか、十年一日のごとく同じ下手さをつづけている次第です。

 謡曲をやっていますと身も心も涼風に洗われたように清浄になってゆく自分を感じるのであります。

 謡曲にもちゃんとした道義観とでもいうものがあって、人間のあゆむべき正しい道とか、あるいは尚武剛気の気性を植えつけるとか、貞操の観念を強調するとか――とにかく謡曲のなかにうたわれている事柄は品位があって格調の高いものであり、それを肚の底から声を押し上げて高らかにうたうのですから、その謡い手の身も心も浄化されてゆくのは当然のことと言わねばなりません。

 それで謡曲に描かれている事象はすべてこれ絵の題材と言っていいくらいでしょう。
 よほどの高い内容をもったものでないと、謡曲にとりあげられないのですから、したがってその事象を絵に移しても、絵もまた自然と格の高い品位のあるものになるという訳であります。
 私は謡曲が好きな故か謡曲から取材して描いた絵は相当にあります。中でも「砧」や「草紙洗小町」などはその代表的なものでしょう。

 もっとも絵の材料になると言っても、文字につくられた謡曲の謂いではありません。それにつれて演出される格調の高いあの能楽の舞台面が多いのです。

 表情の移らない無表情の人の顔を能面のようなと言いますが、しかし、その無表情の能面といえども、一度名人の師がそれをつけて舞台へ出ますと、無表情どころか実に生き生きとした芸術的な表情をその一挙手一投足の間に示すものであります。

 私の先生の金剛巌さんやその他名人のつけられる面は、どれもこれも血が通っていて、能を拝見しているうちに、
「あれが能面なのであろうか」
 と疑うことがしばしばあります。そんな時にはその面はもはや面ではなくして一箇の生きた人の顔なのであります。

       草紙洗小町

「草紙洗小町」は昭和十二年の文展出品作で、これは金剛巌先生の能舞台姿から着想したものであります。
 金剛先生の小町は古今の絶品とも言われていますが、あの小町の能面がいつか紅潮して、拝見しているうちにそれが能面ではなく世にも絶世の美女小町そのものの顔になって生きているのでした。まるで夢に夢みる気持ちで眺めていた私は、
「あれを能面でない生きた美女の顔として扱ったら……」
 そう思ったときあの草紙洗小町の構図がすらすらと出来上ったのでした。

 むかしむかし内裏の御殿で御歌合せの御会があったとき大伴黒主の相手に小野小町が選ばれました。
 黒主は相手の小町は名にし負う歌達者の女性ゆえ明日の歌合せに負けてはならじと、前夜こっそりと小町の邸へ忍び入って、小町が明日の歌を独吟するのを盗みきいて…

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