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孟母断機
もうぼだんき
作品ID47316
著者上村 松園
文字遣い新字新仮名
底本 「青眉抄・青眉抄拾遺」 講談社
1976(昭和51)年11月10日
入力者川山隆
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2008-05-04 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「その父賢にして、その子の愚なるものは稀しからず。その母賢にして、その子の愚なる者にいたりては、けだし古来稀なり」

 わたくしは、かつてのわたくしの作「孟母断機」の図を憶い出すごとに、一代の儒者、安井息軒先生の、右のお言葉を連想するを常としている。
 嘉永六年アメリカの黒船が日本に来て以来、息軒先生は「海防私議」一巻を著わされ、軍艦の製造、海辺の築堡、糧食の保蓄などについて大いに論じられ――今日の大問題を遠く嘉永のむかしに叫ばれ、その他「管子纂話」「左伝輯釈」「論語集説」等のたくさんの著書を遺されたが、わたくしは、先生の数多くの著書よりも、右のお言葉に勝る大きな教訓はないと信じている。
 まことに、子の教育者として、母親ほどそれに適したものはなく、それだけに、母親の責任の重大であることを痛感しないではいられない。
 息軒先生のご名言のごとく、賢母の子に愚なものはひとりもないのである。
 昔から名将の母、偉大なる政治家の母、衆にすぐれた偉人の母に、ひとりとして賢母でない方はないと言っても過言ではない。

 孟子の母も、その例にもれず、すぐれた賢母であった。
 孟子の母は、わが子孟子を立派にそだてることは、母として最高の義務であり、子を立派にそだてることは、それがすなわち国家へのご奉公であると考えた。
 それで、その苦心はなみなみならぬものがあったのである。

 孟子は子供の時分、母と一緒に住んでいた家が墓場に近かった。
 孟子は友達と遊戯をするのに、よくお葬式の真似をした。
 母は、その遊びを眺めながら、これは困ったことを覚えたものであると思った。明け暮れお葬式の真似をしていたのでは、三つ子の魂百までもの譬えで、将来に良い影響は及ぼさぬと考えた。
 そう気づくと、母は孟子を連れて早速遠くへ引越してしまった。

 ところが、そこは市場の近くであったので、孟子は間もなく商人の真似をし出した。近所の友達と、売ったとか買ったとかばかり言っている。

 三度目に引越したところは、学校の近くであった。
 すると果たして孟子は本を読む真似をしたり、字を書く遊びをしたり、礼儀作法の真似をしてたのしんだ。
 孟子の母は、はじめて愁眉をひらいて、そこに永住する決意をしたのである。
 世に謂う孟母三遷の有名な話であるが、孟母は、これほどにまでして育てた孟子も、成長したので思い切って他国へ学問にやってしまった。

 しかし、年少の孟子は、国にのこした母が恋しくてならなかった。
 ある日、母恋しさに、孟子はひょっこりと母のもとへ帰って来たのである。
 ちょうどそのときは、孟母は機を織っていた。母は孟子の姿を見ると、一瞬はうれしそうであったが、すぐに容子を変えて、優しくこう訊ねた。
「孟子よ。学問はすっかり出来ましたか」
 孟子は、母からそう問われると、ちょっとまごついた。
「はい、お…

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