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帝展の美人画
ていてんのびじんが
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「青眉抄・青眉抄拾遺」 講談社
1976(昭和51)年11月10日
初出「大毎美術 第八巻第十二号」1929(昭和4)年12月
入力者川山隆
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2008-06-22 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 内緒でこっそりと東京まで帝展を見に行って来ました。
 この頃の帝展はいつの間にか、私にはしっくりしないものになっているような気がします。誰の作品の何処がどうというのではありませんが、あの会場にみちあふれているケバケバしいものがいやだと思います。どぎつい岩ものをゴテゴテと盛上げて、それで厚味があるとかいう風に考えられてでもいるような作が、あの広い会場を一杯に占領しているのを見ますと私はただ見渡しただけで吃驚りさせられるばかりでした。

 あれでないと近頃の大会場芸術とやらには、不相応なのかも知れません、ああしないと、通りすがりの観衆の眼を惹かないのかも知れません。ですけれどもあんな調子では、日本画はだんだん堕ちて行くばかりではないかという気がします。画品などというものは、捜し廻っても何処にもありはしません、下卑た品のない、薄ッぺらなけばけばした絵ばかり目につきます。それがモダンというものでしょうかしら? そうしなければ、モダンな味というものは出せないものでしょうかしら? モダンにするために、何もそうわざに品を落して薄ッぺらな絵にしなくても、いいように私は思います。

 あんなに岩ものを盛上げたから、それで絵の厚味が出たと思うのが間違いだと思います。絵の奥の奥からにじみ出す味、それは盛上げたばかりで出るものではないということが、わからないのでしょうか。

 今年は伊東深水さんの「秋晴」がえろう評判でしたが、あけすけにいえば、私は一向感心しませなんだ、どうもまだ奥の方から出ているものが足りないと思います。
 伊藤小波さんの「秋好中宮」は昨年のお作の方が、私には好きだと思います。大きく伸ばしたのでいろんなものが見えたのかも知れません。
 和気春光さんの「華燭の宵」は怖い顔の花嫁さんやと思いました。
 木谷千種さんの「祇園町の雪」を見ると、ズッと昔の「をんごく」などの方を懐かしく思い起こさせられます。

 私はもう年をとってしまいまして、モダンな現代から置いてけぼりを食ってしまったのやと思います。そうかといって、どうしても無理をしてまで現代に追ッつかんならんとは思いません。私は私で、今まで通って来た道をまっすぐに行くつもりです。

 もちろん帝展にでも出したいとは思っています。毎年夏になって若い人達が出品画の準備を始めますと、やっぱり何ぞ自分も出してみたいなアという気が出て来ます。けども、この二、三年追われずくめでして、まだ先年からの御用画も出来ていませず、それに高松宮様にお輿入れの徳川喜久子姫さまがお持ちになる二曲一双の日が迫っており、一方では伊太利展の作品もありますので、今は毎日その方にはまり込んでいますようなわけです。
 二曲の方は徳川期の娘が床几に掛けて萩を見ている図を片双に描いて先年描いた二人の娘の片双を揃えることにしています。十一月一杯はかからずに仕上が…

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