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棲霞軒雑記
せいかけんざっき
作品ID47326
著者上村 松園
文字遣い新字新仮名
底本 「青眉抄・青眉抄拾遺」 講談社
1976(昭和51)年11月10日
入力者川山隆
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2008-04-24 / 2014-09-21
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 松園という雅号は鈴木松年先生が、先生の松の一字をとって下さったのと、絵を学びはじめたころ、私の店で宇治の茶商と取引きがあり、そこに銘茶のとれる茶園があったのとで、それにチナんで園をとり、「松園」とつけたものである。たしか私の第一回出品作「四季美人図」を出すとき松年先生が、
「ひとつ雅号をつけなくては」
 と、仰言って考えて下さったもので、
「松園こりゃええ、女らしい号だ」
 と、自分の号のように悦んで下さったものである。最初は園の字は四角にかいていたが中年頃から園の中の字は外へはみ出るように書くことにした。松の園生のように栄えるようにと悦んで下さった母の顔を今でも憶い出す。

 このアトリエの一屋を棲霞軒と称ぶ。私はあまり人様と交際もしないで画室に籠城したきり絵三昧に耽っているので、師の竹内栖鳳先生が、
「まるで仙人の生活だな。仙人は霞を食い霞を衣として生きているから、棲霞軒としたらどうか」
 そういう訳で栖鳳先生が命名された屋号である。これは支那風の人物とか、大作の支那風画を描き年号を入れたり改まった時に使っている。

 爾来私は五十年この棲霞軒で芸術三昧に耽っている次第であるが、松園の名づけ親も棲霞軒の名づけ親もともに今はこの世にはいられない。
 私はとき折りこの画室で松の園生の栄える夢をみたり霞の衣につつまれて深山幽谷に遊んでいる自分を夢みたりする。

 私は毎朝冷水摩擦をかかさず行なっているが、これはラジオ体操以上に体に効くようである。もう四十年もつづいている。私はこの世を去るまでこの冷水摩擦はつづけるつもりでいる。おかげで風邪の神はご機嫌を悪くして、この棲霞軒へは足を向けようとしない。
 朝鮮人参のエキスも少量ずつ、摩擦とともに数十年続けている。
 健康を築きあげるにも、このようにして数十年かかるのである。
 まして芸術の世界は不休々々死ぬまで精進しつづけてもまだ、とどかぬ遙かなものである。

 画室に在るということは一日中で一番たのしい心から嬉しい時間である。
 お茶人が松風の音を聞きながらせまい茶室に座しているのも、禅を行なう人がうす暗い僧堂で無念無想の境に静座しているのも、画家が画室で端座しているのも、その到達する境地はひとつである。

 墨をすり紙をひろげて視線を一点に集めて姿勢を正せば、無念無想、そこにはなんらの雑念も入り込む余地はない。
 私にとっては画室は花のうてなであり、この上もない花の極楽浄土である。

 制作につかれると私は一服の薄茶をたててそれをいただく。
 清々しいものが体の中を吹き渡る……つかれはすぐに霧散する。
「どれ、この爽涼の気持ちで線を引こう」
 私は筆へ丹念に墨をふくます。線に血が通うのはそういう時である。

 色や線にふとしたことから大へんな失敗を起こすことがある。そういう時は御飯をいただくことすら忘れて一日…

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