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苦楽
くらく
副題ある人の問いに答えて――絵を作る時の作家の心境について私はこう考えています。
あるひとのといにこたえて――えをつくるときのさっかのしんきょうについてわたしはこうかんがえています。
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「青眉抄・青眉抄拾遺」 講談社
1976(昭和51)年11月10日
初出「大毎美術 第十四巻第二号」1935(昭和10)年2月
入力者川山隆
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2008-08-31 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     一

 画の作家が、画をつくることについて、ある作家は、これを苦しみだと言います、それからある作家は、楽しみだと言います。
 作家が画を作ることが、果たして苦しみでしょうか、また楽しみでしょうか。
 これは考えようによって、どちらも本とうだと言えましょう。私は画を作ることは、私ども作家にとって、苦しみでもあり、また楽しみでもあると言いたいと思います。
 それはどうして苦しみであり、楽しみであると言えるでしょうか。これはいずれにしても、作家でないと分らない心持ちだと思います。作家であって、初めてこの真実味が分るのだと考えます。

     二

 画を作ることは、実際苦しいことです。苦しみなくしては、価値の善悪上下は別として、これでどうにか満足しえられるというだけの作品は生まれて来ないだろうと思います。
 だが、しかし、苦しみだけでは、画は出来ないと思います。少なくとも、自分に納得しえられるような作品は、生まれて来ないだろうと考えます。

 画は、楽しみを要求します。楽しんで作らないでは、その画は畢竟、その作家の期待を裏切るに相違ありません。
 と言って画は、楽しみのみでは決して出来ないでしょう。制作は、苦しみの中に強く楽しみを捜しています。

     三

 画を作ることは、実際苦しいことです。ですけれど、作家としては、その苦しみを楽しむのでなくしては、いけないと思います。苦しみを楽しむというのは、甚だ矛盾しているようですが、決してそうではありません。

 この制作の苦しみは、作家には決して単なる苦しみではない筈です。その苦しみは、やがてその作家にとって、無上の楽しみである筈です。この意味において、畢竟作家がある作品を制作するのには、心境に無上の楽土を現顕し得るようでないといけないと思います。
 作家が制作に没頭している時、そこには無我の楽土が広がっていて、神澄み、心和やかにして、一片の俗情さえも、断じて自分を遮りえないという、こういう境地に辿りつかないでは、うそだと思います。

     四

 苦しみを苦しみと感じ、楽しみを楽しみと思うことは、当然すぎるほど当然なことです。けれども、芸術の作家が、その作品を生み出す苦しみを、単なる苦しみと考えることは、あまりにも作家として、芸術的余裕がないものだと思います。私ども作家は、少なくともその苦しみを楽しむだけの、余裕があって欲しいと考えます。

 これは画のことではありませんが、私は日頃、謡曲を少しばかり習い覚えて、よく金剛巌氏の会などへ出かけます。
 私はこの謡曲は、まだ初心同様のもので、申すまでもなく如何がわしいものですけれど、しかし、これもやはり画と同じ意味において、楽しむということを第一の目標にしております。

 謡の会の席上などで、私が謡わねばならぬことになった時、席上には、えらい先生方や…

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