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一過程
いちかてい
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「島木健作作品集 第四卷」 創元社
1953(昭和28)年9月15日
初出「中央公論」中央公論社、1935(昭和10)年6月
入力者Nana ohbe
校正者林幸雄
公開 / 更新2010-04-22 / 2014-09-21
長さの目安約 54 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 夕やけが丘の上の空を彩りはじめた。暮れるにはまだ少し間のある時刻である。部屋のなかはだがもううす暗く深い靜けさにひそまりかへつてゐる。十人にちかい男たちがこの二階にありとは思へぬ靜けさである。風が出て來たらしい。寢靜まつた夜などはその遠吠えの音がきこえもする海の上を渡り、さへぎるもののない平地を走つてこの高臺の一軒屋にぢかに吹きつける二月の寒風である。はげしく吹きつけ、細目にあけた窓の隙間からはいる餘勢に壁に下げた何枚かのポスターがかさかさと鳴つた。人々は寒さにふるへ、しかしなにか縹渺としたおもひを誘はれながら、屋鳴りをさせて遠く吹き拔ける風の行方にぢつと耳を傾ける。――
 誰も立上つて灯りをつけようとするものもない。壁によりかかり、言ひ合したやうに膝を立ててその上にうつぶしてゐるもの。長々と横たはり仰向けになつて眼を閉ぢてゐるもの。どれもこれもぢつと動かずにゐる彫像のやうな彼らの姿態は、そのまま過去一ヶ月の餘にわたる精根を傾けつくしてのはげしい生活を物語り顏である。口を開くもものういほどに疲れ切つてゐるのであらう、だがそれにもかゝはらずこの部屋の隅々にまでも行きわたつてゐる何か張り切つたこのけはひはどうだ。事實、ものいはぬ彼らの胸はたつた一つの共通の期待に、――のるかそるか當面のすべてをそれにかけて悔いなかつたその期待にいまふくれ上り、はち切れんばかりになつてゐるのだつた。何か言ひ出してみることはこの際妙に控へられる氣持だつた。かうしてゐるあひだにも時はしだいに迫りつゝある。その最後の時のために、逸り猛つてくるものをぢつと引き締め、溢れ來る感情をひた押しに押さへてただもだしてゐるのである。はじめからあてには出來ぬ期待なら、氣も樂であり、問題はなかつた。事實最初は力の限りたたかつて見ること自體に意義をおき、必ずしもそれの勝敗に執着はなかつたのである。だが中頃状勢は思ひもかけぬ好轉を見せ、時が迫つて來るにつれて阻むものなき一つのいきほひをさへ示したのであつた。それは上げ潮のひた押しに押して來る姿に似てゐた。はじめは誰でもが捨てて顧みなかつたものだけに、今にはかに現實にそれがつかめる見込みがついたとなるとそれだけ逃してはならぬそれへの執着は強く大きかつた。ただそのいきほひで最後の瞬間まで押し切り得るかどうかが疑問だつた。その疑問がいま明らかにされようとする直前の、この息づまるやうにいらだたしい切迫した感じである。
「ちえつ、遲いなあ、一體どうしたつていふんだ。」
 うつぶしてゐた一人がふいに顏をあげると、つひに堪へかねたらしい聲を太い溜息とともにあげた。同時に部屋のなかがにはかにざわめきだした。緊張が破れ、ほつとした氣持に息づき、すると急に活々とした多辯が人々をとらへはじめるのであつた。
「もうわかつた頃だと思ふんだがな。」と一人が腕をあげて時計を見ながらいつ…

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