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赤い手
あかいて
作品ID47412
著者国枝 史郎
文字遣い新字新仮名
底本 「国枝史郎探偵小説全集 全一巻」 作品社
2005(平成17)年9月15日
初出「探偵」1931(昭和6)年8月
入力者門田裕志
校正者湖山ルル
公開 / 更新2014-05-21 / 2014-09-16
長さの目安約 21 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 まだ真夜中にはなっていなかった。
 が、豪奢なウッドワードのアパートに漲る深々たる夜の静寂は、泥棒猫のようにこっそり忍び込んだスパイダー・マッコイの亢奮した神経を針のように尖らせた。ゴム底の靴は歩く度に高価な絨氈の中に深々と沈み、彼の熟練した眼には夜目にも素晴しい調度品が感じられた。室から室を忍び歩く足の感じと時折照す懐中電燈の光だけで、スパイダーは家の中の様子をあらまし頭の裡にたたみ込んだ。
 総べては彼が想像した通りだった。いや、サディが彼に知らせた通りだと云った方がいいかも知れない。サディはウッドワード夫人がフロリダ地方へ出立する以前、一ヶ月許り女中として住み込んでいた。そして彼女は室々の詳細の様子をスパイダーに知らせて寄したのだ。今その正確だったことが分ると、彼は舌を巻いて驚いた。
「サディは利口な奴さ」と彼は呟いた。「その上、気が利いていやがる。あれでスラッグ・ドルガンに気がなければなあ」
 彼はそう思うとスラッグが無上に憎くなって来た。奴は此の数ヶ月と云うもの幾度仕事の邪魔をしたか知れやしない。だが何うして仕事を予め感付いたろう。誰か密告してる奴がいるんだ――事情を詳しく知ってる奴が。スパイダーは今までついぞサディを疑った事はなかった――が、あの女にも用心しないと不可ないな、と彼は思った。
 その時、幽かな物音がしたので、彼は蜂に神経を刺された様に、はっと我に返った。彼は全身の神経を緊張させて油断なく暗の中に佇んだ。が、やがて、気の精だったかも知れない、と独りで極めてしまった。
 家の中には眠に就いている二人の召使の外には誰もいない筈だった。夫人はフロリダ地方へ行っているし、主人は土曜日の夜はいつも日曜版が刷上るまで新聞社にいる習しだった。スパイダーは前々から念を入れて今日の準備を怠らなかった。そして宵の中から家に眼をつけておいて、ウッドワードが自動車で事務所へ出掛けた後も、召使達が燈火を消して室へ退くのを待っていたのだった。
 懐中電燈の光は床から壁を這い廻った。
 時間はたっぷりあったから、決して急ぐ必要はなかった。彼は安心して仕事に取掛ることが出来た。窓には日除が下され、その上都合のよい事にはどっしりした窓掛けさえ下されてあった。彼は電燈のスイッチを捻った。すると眼の前に突然華麗な室が現われたので思わず眼を瞠った。が、今はそんな事に暇をつぶしている時ではなかった。やがて今宵の目的物が眼に映った。それはサディが云った通り室の端れに――グロテスクなチーク材の彫像が立っていた。
 その彫像を予てから欲しがっていた胡買者のシモン・スヌッドはスパイダーに話を持ち掛けた。
「手に入ったら、お前には五千弗出すぜ」とスヌッドは約束した。
 スパイダーに取ってはそれだけでも充分だった。併し巧くゆけばもう少し位出させることは出来るかも知れないし、スヌッドにし…

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