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関牧塲創業記事
せきぼくじょうそうぎょうきじ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「命の洗濯」 警醒社書店
1912(明治45)年3月12日
入力者小林繁雄
校正者土屋隆
公開 / 更新2005-04-08 / 2014-09-18
長さの目安約 42 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

創業記事端書

世の中をわたりくらべて今ぞ知る
     阿波の鳴門は浪風ぞ無き

予は第二の故郷として徳島に住する事殆んど四十年、為に数十回鳴門を渡りたるも、暴風激浪の為めに苦しめらるる事を記憶せざるなり。然るに今や八十一歳にして既往を回顧する時は、数十回の天災人害は、思い出すに於ても粟起するを覚うる事あり。然れども今日迄無事に生活し居るは、実に冥々裡に或る保護に頼るを感謝するのみ。
明治三十四年には、我等夫婦に結婚後五十年たるを以て、児輩の勧めにより金婚式の祝を心ばかりを挙げたり。然るにかかる幸福を得たるのみならず、身体健康、且つ僅少なる養老費の貯えあり。此れを保有して空しく楽隠居たる生活し、以て安逸を得て死を待つは、此れ人たるの本分たらざるを悟る事あり。亦曾て予想したる事あり。夫れ我国たるや、現今戦勝後の隆盛を誇るも、然れども生産力の乏しきと国庫の空なるとは、世評の最も唱うる処たり。依て我等老夫婦は、北海道に於ける最も僻遠なる未開地に向うて我等の老躯と、僅少なる養老費とを以て、我国の生産力を増加するの事に当らば、国恩の万々分の一をも報じ、且亡父母の素願あるを貫き、霊位を慰するの慈善的なる学事の基礎を創立せん事を予め希望する事あるを以て、明治三十五年徳島を退く事とせり。然るに我等夫婦は此迄医業を取るのみにて、農牧業に経験無きを以て、児輩及び知己親族より其不可能を以て思い止むべきを懇切に諭されたるも、然れども我等夫婦は確乎と决心する所あり、老躯と僅少なる資金と本より全成効を得べからざるも、責めては資金を希望地に費消し、一身たるや骨肉を以て草木を養い、牛馬を肥すを方針とするのみ。成ると成らざるとは、只天命に在ると信ずるのみ。故に徳島を発する時は、其困苦と労働と粗喰と不自由と不潔とを以て、最下等の生活に当るの手初めとして、永く住み慣れたる旧宅を退き、隣地に在る穀物倉に莚を敷きたるままにて、鍋一つにて、飯も汁も炊き、碗二つにて最も不便極まる生活し一週間を経て、粗末なるを最も快しとして、旅行中にも此れを主張して、粗喰不潔の習慣を養成せり。故に北海道に着して、仮りに札幌区外の山鼻の畑の内に一戸を築き、最も粗暴なる生活を取り、且つ此迄慣れざるの鎌と鍬とを取り、菜大根豆芋等を手作して喰料を補い、一銭にても牧塲費に貯えん事を日夜勤むるのみ。然るに甞て成効して所有するの樽川村の地には、其年には風損と霜害とにて半数の収益を※[#「冫+咸」、173-11]じたり。為に悲境を見る事あり、大に失望して、更に粗喰と不自由とを以て勤めて其損害の幾分乎を償わんことを勤めたり。三十六年には主務なる又一は一年志願兵となり、其不在中大雪に馬匹の半数を斃したり。三十七年には相与に困苦に当るの老妻は死去せり。続いて又一は出征し、同秋に至り病馬多く、有数の馬匹を斃したり。為に予は一時病む事あるも、幸…

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