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キャラコさん
キャラコさん
作品ID47494
副題09 雁来紅の家
09 はげいとうのいえ
著者久生 十蘭
文字遣い新字新仮名
底本 「久生十蘭全集 Ⅶ」 三一書房
1970(昭和45)年5月31日
初出「新青年」博文館、1939(昭和14)年10月号
入力者tatsuki
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2009-01-30 / 2014-09-21
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一
 市ヶ谷加賀町から砂土原町のほうへおりる左内坂の途中に、木造建ての小さな骨董店がある。
 西洋美術骨董、と読ませるつもりなのだろう、はげちょろになった白ペンキ塗りの看板に、"FOREIGN ART OBJECTS" と書いてある。
 一間ほどの飾窓のついた、妙に閉め込んだ構えの、苔の生えたような家だった。人が出入りするのを見かけたこともなく、いつ覗いても、店のなかは仄くらくしずまりかえっていて、チラとも人影が動かなかった。
 天気のいい日は、家の正面にまともに西陽がさしかけ、反りかえった下見板がほこりっぽく木目を浮きあげる。雨の日は、看板のうしろの窓の鎧扉が、ひっそりとしずくを垂らしていた。
 キャラコさんは、土手三番町の独逸語の先生のところへゆくので、一週間に二度ずつこの家の前を通る。
 飾窓のなかには、脚のとれた写字机や、石版画の西洋の風景や、セエブル焼きの置時計、壊れた手風琴、金鍍金の枝燭台、さまざまな壺や甕、赤く錆びた三稜剣。……そんなものが、窓掛けの透間から差しこむ光線の縞の中で、うっすらとほこりをかぶって押し並んでいる。
 いつか、なにげなくその中を覗いたのが癖になって、行き帰りのたびに、かならずいちどはこの飾窓の前で足をとめる。
 どれもこれも、古び、傷つき、こんなものを買うひともあるまいと思われるようながらくたばかりだが、たとえば、脚のとれた写字机にしろ、ホヤのない真鍮の置洋灯にしろ、それぞれ、長いあいだの手ずれの跡や、時代のかげがはっきりと残っていて、それをながめていると、時の歩みをしずかにふりかえっているようで、なんともいえないほのかな気持になる。
 そればかりではない。セエブル焼きの置時計の細かい唐草模様のなかに隠されている貴婦人や農夫や、フランダースの飾り皿の和蘭の風景や、鯨に銛をうっている諾威の捕鯨船の図などに眼をよせて眺めると、今まで見落としていた小さな花々や、浮雲や、遠い風車や、波の間で泳いでいる魚などを、見るたびに、その中で、新しく発見する。
 キャラコさんは、夢中になって、つい、こんなふうに叫んでしまう。
「あら、あそこに、あんな花が隠れていたわ。……まあ、なんてかあいらしいこと!」
 キャラコさんは、この楽しみを自分ひとりだけのものにして、そっとしまっておいた。独逸語の先生のところへの往復、この飾窓の前に立つ十五分ぐらいの時間が、長い間、キャラコさんのひそかな楽しみになっていた。
 ちょうど、ボクさんの両親の和解が成り立ってから十日ほど経った朝、学生鞄をブラブラさせながら、いつものように飾窓のガラスに額をおっつけて中をのぞいてみると、この二週間ほど見なかったうちに、窓の中のようすがすこしばかり変わっているのに気がついた。
 写字机と置戸棚の間にあった三稜剣が壁の隅のほうへ寄り、前列にならんでいたジャヴァの土壺…

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