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ノンシャラン道中記
ノンシャランどうちゅうき
作品ID47497
副題01 八人の小悪魔
01 はちにんのこあくま
著者久生 十蘭
文字遣い新字新仮名
底本 「久生十蘭全集 Ⅵ」 三一書房
1970(昭和45)年4月30日
初出「新青年」1934(昭和9)年1月号
入力者tatsuki
校正者伊藤時也
公開 / 更新2009-12-10 / 2020-09-06
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 一九二九年の夏、大西洋に面した西仏蘭西の沿岸にある離れ小島に、二人の東洋人がやって来た。質朴な島の住人が、フランス語で挨拶して見たら、相応な挨拶をフランス語で返すので、これは多分フランス人なんだろうと決め込んで、以来、多少の皮膚の色の曖昧さや、少し黒すぎる髪の毛の色には頓着しないふうであった。
 さて、この二人の東洋人が、この夏を過すことに決めた島というのは、大西洋の中に置き忘れられた絶海の一孤島であって、そこには、風車小屋と、羊と、台ランプと、這い薔薇と、伊勢海老と、油漬鰯の工場と、発火信号の大砲と、「海の聖母像」と、灯台と、難破した FORTUNE 号の残骸と、――そのほか、風とか、入江とか、暗礁とか、それ相応のものの外、計らざりき、災難というものさえあったという次第。
 そもそも、災難の濫觴とも、起源ともいうべきその宿とは、先年、鰯をとるといって沖へ出たまま、一向報りをよこさぬという七歳を頭に八人の子供を持つ、呑気な漁師の妻君の家の二階の一室で、寄席の口上役のような、うっとりするほど派手な着物を着たこの家の若後家が、敷布と水瓶を持って、二人の前に罷り出た時の仁義によれば、この部屋は、かつて翰林院学士エピナック某が、この島、すなわち「ベリイルランメール島の沿革および口碑。――或いは、土俗学より見たるB島」という大著述を完成した由緒ある部屋であって、またこの窓からは、ありし日、サラ・ベルナアルが水浴をしているのが、手にとるように見えたこと。さて、今ははや、見る影もないこの衣裳戸棚ではあるが、これは父祖代々五代に亙って受け継いで来た長い歴史のために破損したのであって、ここに彫り込まれた三人目の漁夫は、大祖父によく似ていると皆が評判すること。お二人がお寝みになるこの寝台では、お祖父さんもお祖母さんも、みな安らかに最後の息を引き取ったこと。もし牛乳がお入用ならば、毎朝一立ずつ扉のそとへ置いとくつもりであること。これはぜひ一度ご試飲を願って、そのあとで、お断わりになるなり、お用いになるなりなさるのが至当であって、何故ならば、この島の牛どもが喰べる苜蓿は塩気を含んでいるため、勢い牛乳も多少の塩味があるというので評判であること。乾物のお買物は、広場の角の家が一番安く、パン屋はその向いの青ペンキ塗の家、酒屋はその向いの「蟹の夢」屋という家に限ること。なぜなれば、この三軒は一法の買物ごとに福引券を一枚ずつくれるからで、福引券が貯りましたらば、ご出立の際、わたくしにいただかしてもらいたいこと。もし、この炉で煮焚きをなさるならば、火をお焚きになる前に、この火掻きで、煙突を二三度ひっぱたいていただきたい、と申すわけは、一昨年からこの煙突の中に雀が二家族巣を作っているからであって、もしかして、雀に火傷でもさせたら、さぞ寝覚めのお悪い事であろうと思って、ご注意までに申しあげること…

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