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ノンシャラン道中記
ノンシャランどうちゅうき
作品ID47502
副題06 乱視の奈翁 ――アルル牛角力の巻――
06 らんしのなおう ――アルルうしずもうのまき――
著者久生 十蘭
文字遣い新字新仮名
底本 「久生十蘭全集 Ⅵ」 三一書房
1970(昭和45)年4月30日
初出「新青年」1934(昭和9)年6月号
入力者tatsuki
校正者伊藤時也
公開 / 更新2009-12-21 / 2020-09-06
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 一、ココナットから象が出る馬耳塞の朝景色。マルセーユの旧港。――この四角な、鱒の孵化場のようなもののなかには、あらゆる船舶の見本と、あらゆる国籍が詰め込まれている。二本檣のゴエレット船、地中海の三角帆船、マルタ島のトロール船、バクウの石油船。そうかと思うと古風な三檣砲艦なんてのもいる。だから、独逸の潜水艦だってそのへんの水の中にくぐっていないわけのものではない。国籍の方はあげて数えるのも愚かである。サルヴァドル国コスタ・リカ共和国、……諸君は聖シェージュ王国というのを聞いたことがありますか。ところが、白と黄の奇妙な旗をかかげたその国の船が、ちゃんと波止場のそばに停泊しているのだ。ところが、その波止場には、税関吏、運送屋、宿引き、烏貝売り、憲兵、人足、小豆拾い、火夫、人さらい、トーマス・クックの通弁、……そういった輩が、材木、小麦、椰子の実、古錨、オーストラリヤの緬羊、瀝青、鯨油の大樽と、雑多に積みあげられた商品や古物の間を、裾から火のついたように走り廻っている。可動橋の歯車の音、船の汽笛、怒声に罵声、機重機の呻き声、蒸気の噴出する音、それに護母寺の鐘の音まで入り交じり、溶け合って、轟然混然たる港の朝の音楽を奏している。
 キャヌビエールの船着場から、烏街の方へ入った一軒の乾物屋の店先に、楕円形の黒いすべすべしたものが山のように積まれてあった。これはちょうど、いま南洋から到着したばかりのココアの実なんだ。
 するとここへ、牛を連れた三人の男女が通り合わした。一人は粗毛の帽子をかぶり、赤、黄で刺繍をした上衣を着、珈琲色の薄い唇の上に見事な口髯をたくわえた、――つまり、疑いもなくコルシカの山地の人間だということは、その腰にぶっそうな匕首を帯びているのでもわかる。
 他の二人は東洋人と見受けられるが、チュニスとかモールとかそういう類ではない。もう少し遠方の人種であるというのは、このへんでは、そうざらに見掛けない顔立ちだからである。男の方は一見、十五六歳だが、地味な襟飾りなどをしているところを見ると二十五六歳にも見える。またしかつめらしく眉をひそめたりすると三十五六歳ぐらいに、時には五十歳ぐらいにも見えるのである。女子の方は十七八歳で、これは人種などというものから少し超越しているというのは、しゃくれた顎と低い鼻を持ち、波止場に落ちた石炭のような漆黒な眼を持っていて、これらの印象が、穴熊だとか狸だとかというものを連想させるからだ。この恐ろしく立派な外出着を着た令嬢が、まるで乾鱈のようにやせた牛を一匹ひいて、ちょうど出勤時の取引所の雑踏のなかをそそと漫歩しながらやって来た。――犬ではない牛なんだ。
 そこで件の乾物屋の店先で。
「これは、ま、卵みたいす。……一体なんの卵だろ」と、よろず、もの珍らしいコルシカ人がまず、こう声をかける。
 すると、その声を聞きつけて店のなか…

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