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尼たちへの消息
あまたちへのしょうそく
副題――よく生きよとの――
――よくいきよとの――
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「桃」 中央公論社
1939(昭和14)年2月10日
初出「手紙講座 卷の三」平凡社、1935(昭和10)年4月1日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2009-01-26 / 2014-09-21
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 日蓮聖人の消息文の中から、尼御前たちに對へられた書簡を拾つてゆくと、安産の護符をおくられたり、生れた子に命名したりしてゐて、哲人日蓮、大詩人日蓮の風貌躍如として、六百六十餘年の世をへだてた今日、親しく語りかけられる心地がする。もとよりこの尼御前たちは在家の尼たちであるが、送られた手紙は、文章も簡潔で實に好い。それよりもよいのは、寄進された品目をいつも頭初に書いて、感謝してゐる率直な表現だ。もとより私の見方は、文章の上から見てのことばかりだが、後に多くの文雅の士がさうした書きかたをしたのを見ると、これを學んだのでないかと思ふほどだ。文中景色を叙したのはすくないが、駿河の松野殿御返事といふ一文には、
鵞目一結、白米一駄、白小袖一、送り給び畢んぬ。抑、此山と申すは、南は野山漫々として百餘里に及び、北は身延山高く峙ちて白根が嶽につづき、西には七面と申す山峨々として白雪絶えず、人の住家一宇もなし、適、問ひくるものとては梢を傳ふ[#挿絵]猴なれば、少も留ることなく還るさ急ぐ恨みなる哉。東は富士河漲りて流沙の浪に異ならず。かかる所なれば訪ふ人も希なるに、加樣に度々音信せさせ給ふ事、不思議の中の不思議也。
 これは、建治二年十二月九日に身延から佛道の教へに答へられた長い書簡の書出しである。
 おなじ松野殿へ、弘安元年五月一日に與へられたのには、

日月は地におち、須彌山はくづるとも、彼女人、佛に成らせ給ん事疑なし。あらたのもしや、たのもしや
干飯一斗、古酒一筒、ちまき、あうざし(青麩)、たかんな(筍)方々の物送り給ふて候。草にさける花、木の皮を香として佛に奉る人、靈鷲山へ參らざるはなし。況や、民のほねをくだける白米、人の血をしぼれる如くなるふるさけを、佛法華經にまいらせ給へる女人の、成佛得道疑べしや。
 これは全文である。この、況や民の骨をくだける白米、人の血を絞れるごとき古酒、といふ言葉は白米が玉のやうに、白光りに光つて見える。民の骨を碎ける白米、民の骨を碎ける白米! げに有難い言葉ではないか。
 この松野殿女房――後家尼御前に與へられた、も一通の消息にも身延隱棲の自然が叙されてある。

麥一箱、いゑのいも(里芋)一籠、うり一籠、旁の物、六月三日に給ひ候ひしを、今迄御返事申候はざりし事恐入候。此身延の澤と申す處は、甲斐の國飯井野、御牧、波木井三箇郷の内、波木井郷の戊亥の隅にあたりて候。北には身延嶽天をいただき、南には鷹取が嶽雲につづき、東には天子の嶽日とたけをなじ、西には又、峨々として大山つづきて白根の嶽にわたれり。[#挿絵]のなく音天に響き、蝉のさえづり地にみてり。天竺の靈山此處に來れり。唐土の天台山親りここに見る。我が身は釋迦佛にあらず、天台大師にてはなし。然れども晝夜に法華經をよみ、朝暮に摩訶止觀を談ずれば、靈山淨土にも相似たり。天台山にも異ならず。但し有待の依身…

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