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二つの死
ふたつのし
作品ID4758
著者原 民喜
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の原爆文学1 原民喜」 ほるぷ出版
1983(昭和58)年8月1日
入力者ジェラスガイ
校正者林幸雄
公開 / 更新2002-09-23 / 2014-09-17
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一

 その頃私はその朽ちて墜ちさうな二階の窓から、向側に見える窓を眺めることがあつた。檜葉垣を隔てて、向に見える二階建洋館のアパートでは、私が見おろす窓のところに、白い顔をした男が鏡にむかつてネクタイを結んでゐる。そのありふれた映画のなかの一情景か何かのやうな姿が、とにかく、あそこには、あのやうな生活があるのだなといふことが分るのだつた。ところが、私の立つてゐる側の六畳の部屋は、そこではボロボロに汚れた畳が、その畳の感触までが今では私をその部屋から追出さうとしてゐるのだつた。
 その秋、私は土地会社の周旋で中野駅附近の汚ないアパートの一室を貸りたのだが、私から権利金を受取つた先住者は押入に荷物を残したまま身柄だけ一時立退いたかと思ふと、時折その部屋に現れてはそこを足場に担ぎ屋の商ひをつづけてゐた。そのうち先方の都合がどうしても立退けなくなつたと諒解と解約を申込んで来た。私は中野打越にある、甥の下宿先に再び舞戻つて来た。それから私は新聞社に「求間独身英語家庭教師に応ず」といふ広告を依頼してみたり、数少ない知人を廻り歩いて部屋のことを哀願してみた。「いつになつたら引越してくれる」と甥は時々不機嫌さうに訊ねる、そのたびに私は多少心あたりがあるやうな返事をしなければならなかつた。この若い学生の甥は殆ど毎日友人を連れて来ては部屋に寝そべつてゐた。
「あの時は愉快だつたね、隣の家にはピカ(原子爆弾)で死にかかりの人間がゐるのに、こちらではみんな楽器を持寄つて大騒ぎやつた」
 私は若い学生たちのだらけきつた雑談を部屋の片隅できかされた。みんな彼等は原子爆弾の際は中学の勤労隊にゐて市街から離れてゐたため無事だつたのだ。それは惨劇に直面し、その後突おとされた悲境のなかに生き喘いでゐる私とはひどく違ふ世界だつた。学校はもう休暇になつてゐたが甥たちはなかなか帰郷しさうになかつた。毎日、彼等は七輪で米を煮いてはガヤガヤと食事をしてゐた。食事の時刻には私は部屋を出て外食食堂に行つた。それから夜は壁際の片隅に身を縮めて寝た。私は何処かへ突抜けてゆきたいやうな心の疼きで一杯だつた。甥が帰郷すると始めて私はその部屋で久振りに解放されたやうな気持がした。が、ある朝、新聞記者が訪ねて来ると、
「唐突な質問で恐縮ですが世態調査で伺ひたいのです」と先日の求間広告で申込があつたかどうか訊ねた。私は[#底本はここで改行]「求間独身英語家庭教師に応ず」の広告が既に二週間前新聞に掲載されてゐたのもまだ知つてゐなかつた。
「さうですか、何分条件が特殊なので申込があつたかと思ひましたが」と新聞記者は微笑しながら去つた。
 藁をも掴まうとしてゐる自分の姿が寒々と私の目に見える。年が明ければ甥はここへ戻つて来るので、それまでにはどうしても立退かねばならなかつた。私は真空のなかに放り出されたやうな感覚で…

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