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「なよたけ」の解釈
「なよたけ」のかいしゃく
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 22」 中央公論社
1996(平成8)年12月10日
初出「演劇 第一巻第三号」1951(昭和26)年8月
入力者門田裕志
校正者沼尻利通
公開 / 更新2013-06-12 / 2014-09-16
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

その頃、目に故障を持つてゐた戸板君が、戦争に出ることになつた。案じてゐると、もうどつかで苦しんでるだらうと思ふ時分、ひよつくり帰つて来た。よかつたねと言つてゐると、其場ですぐ言ひ出した。これもやはり南の方へ出て行つた加藤道夫君が、その以前書いておいた「なよたけ」が、雑誌に出はじめたから、其を読め/\、と大層慂めるのである。其で、三田文学に出てゐる間割合によく読んでおいた。戦争の後、読む書物のない時期が相応に続いて、八犬伝や、膝栗毛を精読したり、るぱんやほるむすを読み返すやうな侘しい月日が続いて、読書呆けといふべき時期が長かつた。
長い間舞台にかゝるやうな評判の立ち消えになり/\したあの物語が、いよ/\舞台に上ることになつた。さて以前の「なよたけ」の筋は、殆あたまに浮んで来ない。だがかう言ふ程度に記憶の薄れた方が、愈舞台に向ふと、後から/\薄紙を剥ぐやうに思ひ出されて来て、適当な用意を持つて芝居に臨んでゐると謂つた頃合ひの知識になつてゐるだらうから、此はきつと楽しいぞ。静かな岩清水のやうに、沁み出る記憶にひたされながら、加藤君のお芝居を見ることが出来るだらう。そんな期待で出かけて行つた。だが、其にはあまり健忘の時間が、私の上に立ち過ぎてゐた。驚くばかり、何と記憶が払拭せられてしまつてゐた。
此は、作者に対してすまぬ訣だ、と何よりも加藤君に恥かしくなつた。其から情熱的な優人諸君に、しげ/\顔を見られてゐるやうな気が少々はした。そんな私だつたが、外のまじめな――又まじめ過ぎる見物の人々の心構へだけには、めつたについて行けない気がした。書き卸しの芝居を見に来た、といふ気込みが、見物席に充ち満ちてゐる。いつも新劇を見に行つて圧倒せられる――あの空気だ。源氏の歌舞妓化なども此間あつたばかりで、其時も之に似た気雰を感じた。初めてとり組むものとして、筋よりも何よりもまづ、てまだの思想だのが問題になつたやうだが、其は作者側にも責任はあつたらうが、見物も亦、作者との間の、芝居の黒幕の彼方を、一返に諒会しようと言ふ知識欲に駆られ過ぎてゐると思つた。知識につゝつかれて芝居を見てゐる人々。一体「ているす」さへ読んだことのない一見の見物に、源氏が舞台を見ただけで直に訣るものと思つてゐることが、どうかしてゐるのである。どうも日本では、一返ぎり芝居を見なさ過ぎる。どこの国だつて梗概を見るつもりで、芝居を見にゆくのが、正しいことで通つてゐる筈はない。源氏の芝居でなくたつてさうだ。もつと頭のいらぬ舞台だつて――問題を惹き起す印籠をさげて、三島沼津をうろつく呉服屋の主人の心理にも、行きなり溶けこめる訣はない。行きあたりばつたり、よい気の気焔を吐く、浅薄な数寄屋坊主を書いた芝居だつて、行きなりの見物に、見ると訣るとが同時に来る筈がない。さう言ふ見物の為に、芝居が用意せられるものだから、なよたけの作…

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