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凡愚姐御考
ぼんぐあねごこう
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「桃」 中央公論社
1939(昭和14)年2月10日
初出「文藝春秋 昭和十一年二月號」1936(昭和11)年2月
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2009-01-31 / 2014-09-21
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 義理人情の美風といふものも歌舞伎芝居の二番目ものなどで見る親分子分の關係などでは、歪んだ――撓めた窮屈なもので、無條件では好いものだといひかねる。立てなくつてもいい義理に、無理から無理を生ませてゐる。人情にしてもまことに低級卑俗だ。大局とか、大義とか、さういふものには眞つくらで、ただ、ただ親分のためとか、顏が立たぬとかでもちきつてゐる。しかも、その親分、いかさまでない實力と、金のはいるのは昔から曉天の星のやうで、花川戸の長兵衞をはじめさうした人たちは、人間としても一人物であり條理もわかりさうだが、そのほか、野晒悟助のやうに、大概なのは氣がよければ金に缺けてゐる。男伊達が起つてきてからの社會では金がなければ、中々道理もひつこむ世の中なのだから、勢ひ、講談などできいても惡い親分が多い。斬ツつ、張ツつも、正義や弱いものを助けるためのはすくなくて、繩張りの勢力爭ひで、弱者がほろびてゆく。
「文藝春秋」できかれた「姐御ぶり」といふものは、勢ひさうした見方からいつて、およそ、わたしのきらひなものだ。姐御とは、さうした輩の細君を敬稱したものかと思ふ。親分の顏のよしあしも、一つは、細君の子分操縱法――つまり臺所まかなひ、小遣ひ錢、仕着せの心附けなどの附け屆けの氣の利きかたで、だいぶ違ふのだらうと思ふ。で、以前役者の女房にそれ者が必要だつたごとく、姐御てあいもなかなか、粹もあまいも噛みわけた苦勞人でなければおさまらなかつただらうし、男まさりの氣強い女でなければ、無考へな、血の氣の多い、若い衆を操御し、ある折は親分とも夫婦喧嘩もしなければならなかつたであらうから、勢ひ、むかうつ氣の強い女でなければならない。鐵火にならざるを得ない。
 ところで、鐵火とは、卷き舌で、齒ぎれのよい肌合を差していつたものだが、氣のあらい勇み肌のなかでも、鐵火といはれるのは、どうしたことかすこし下品さをふくんでゐる。鐵が火のやうに燒けて、カンカンなのか、火のやうに強い性格といふのか、それとも火のやうに燒けた鐵の棒を突きつけられても、おそれない人といふのか、そんなことは、さうした方面の研究をしてゐる人にでもきかなければ由來はわからないが、坎、もしくは駻なるものならば、女の時にもつてくれば、疳の高い馬のやうな跳つかへりをさしたものともおもへる。「言泉」を見ると、戰國時代に罪の虚實を糺さんために、鐵を赤熱せしめて握らせるものとある。そしてまた、心ざま兇惡無慙なること、野鄙殺伐ともある。鐵火肌はさうした性質ともある。
 そこで、獨立した女親分――そんなふうなものをも姐御といひ、尊稱して大姐御ととなへるやうだが、わたしはこの位きらひなものはない。なぜなら、いやに偉らがつて、そこに、あざけきつたものが多分にあるからだ。
 ともあれ、まづ、江戸末期の頽廢した、朝酒でもひつかぶつてゐられるやうな時期の、大姐御といふも…

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