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神楽(その二)
かぐら(そのに)
作品ID47686
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 21」 中央公論社
1996(平成8)年11月10日
初出「神楽歌研究」畝傍書房、1941(昭和16)年5月
入力者門田裕志
校正者フクポー
公開 / 更新2018-05-04 / 2018-04-26
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

日本の神道に、最重大な意味をもつてゐる呪法の鎮魂法が芸能化した第一歩が神楽だと思ひますから、どうしても、日本の芸能史に於ては此を第一に挙げるべきでせう。その点であんたが此の問題に第一指を触れられたのは見識があつたと思ひます。
あんた自身もさうでせう、一緒にやつて来た私もつく/″\感ずることですが、すべての芸能に対してもさうだつたやうに、殊に神楽では、我々の考へが幾度変つたか訣りません。其中でも神楽の起源については、実に豹変に豹変を重ねて来たわけで、何処まで自分の前説を取り消さなければならないかと考へる位です。さうして此頃やつと暫定式な結論だけは得たと思ひますが、併し、さうしてみると、昔の人の言つてをつたのと大して違はない所におちて来たやうな気がするのです。どうせあんたの今度の本にも出て来るでせうから、あんたの書いてゐる部分をまう一度繰り返すやうな形になるかもしれませんが、一言だけ付け添へることに致しませう。
私共が最初、内侍所の御神楽だけについて議論してゐた時、あんたから注意を与へられて、清暑堂の御神楽の方も考へなければならぬといふことが訣つたのですが、今になつてみると、結局清暑堂の御神楽の方が、内侍所の御神楽よりは古いものだつた。さうして、神楽の歴史については、まう一つ重要な暗示を含んでゐるものだ、といふことがだん/\訣つて来ました。平安朝中期以後の神楽の形を考へるのに、まづ、そのうちに清暑堂の御神楽の要素を強く認めなければならない。その外に、薗韓神まつりの神遊び、之を加へたゞけで大体伝つてゐる神楽の形はできると思ひます。その外に色々な地方の大社、或は国々の特殊な神遊びが宮廷に摂り入れられて、それが合体したものだ、と言へば、それで足りるのだと思ひますが、さうすれば清暑堂の御神楽といふものが、どうして起つたかといふことが問題になります。これは恐らく大嘗祭に接続して、豊楽殿の後房、即、清暑堂で行はれた御遊が、大嘗祭の意味に於て毎年繰り返される新嘗祭にも行はれたといふところから、毎年行はれる御神楽となつたことは、まづ間違ひないことだと思ひます。それならば、御神楽が何故大嘗祭に行はれ、十一月に行はれないか、といふことになりますが、これは簡単に説明出来ると思ひます。つまり、同じやうな神遊びをもつてゐる鎮魂祭が、新嘗祭に近く行はれるからです。それならば、鎮魂祭の時にどういふものが行はれるかといふと、神遊び、倭舞、此の二つといふことになつてゐます。その倭舞のかはりに薗韓神の神遊びが這入つたものが、とりもなほさず御神楽だといふことになるのです。同時に宮廷が大和においでになつた時代と、山城京にお遷りになつてからとの相違を見せてゐる訣なのです。
あんたには説明するまでもないことですが、この本を読まれる人たちの為に薗韓神を我々の考へてゐる形で説明しますと、韓神は山城京の定つたそ…

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