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信州新野の雪祭り
しんしゅうにいののゆきまつり
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 21」 中央公論社
1996(平成8)年11月10日
初出「民俗芸術 第三巻第五号」1930(昭和5)年5月
入力者門田裕志
校正者フクポー
公開 / 更新2018-02-11 / 2018-01-27
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

前代文明の残溜地

東海道の奥から、信州伊那谷へ通じてゐる道が、大体三通りあります。其中、一筋は遠州から這入るもの、他の二筋は三河から越える道です。その真中にあたる道が、丁度花祭りの行はれる三州北設楽の村々を通つてゐるので、極僅かな傾斜を登ると、すぐ信州領になつてゐます。所謂新野峠が其境目で、此から半里も下ると、旦開村新野の町になるのです。而もこゝは、西へも北へも、或は東へも、すべて又、山坂を越えなければ通れない、盆地です。
東海道方面からやつて来た前代の文明は、或期間、此風の吹き溜りの様な山の窪地に、あたかも、吹き寄せられた木の葉の様に残溜してゐたのだと見られます。此村の伊豆権現、或は、以前此地の開発主であつた、伊東家に関聯した神事・儀式の伝承が、其を明らかに示してゐます。
我々、民俗芸術の会の仲間では、近い中に一度、皆で手わけをして此土地だけの村落調査をやつて見たいと言ひ合つて居る事です。若しさういふ事になれば詳細な報告を作る事が出来るでせうが、最近新野の雪祭りなる祭儀が東京へ来る事になつたのを機会に、先、小手調べとして、其に対する調査報告集を、同人の方々でお作りになる事になつてゐます。「花祭り」号の後に「雪祭り」号が出る事は、感じの上で、まことに快い事だと、我々も思ひます。それで、当然その時にも、行きがゝり上、私も仲間入りをしなければなりませんから、こゝにはほんのざつとした此春の祭りの輪廓だけを書いて、追つて行はれる雪祭り試演の為の、引札がはりにしたいと思ひます。

伊豆権現と伊東家

一体、下伊那の南部地方は、明治の初めに、謂はゞ奴隷解放とも言ふべき運動の盛んに行はれたところであります。つまり、昔から被官と称して居つた門百姓が、親方から独立した為に、大変もめた事でした。聞くところに依ると、理窟ばつた信州人の間でも、殊に解放問題を喧しく言ふのは、未だに下伊那が最甚しい相です。或は被官解放運動の名残りかも知れませんし、其運動自身が、起るべき理由のまた此土地に強く根ざして居たのかも知れません。新野ではさういふ運動があつたとは聞きませんでしたが、さうした気分は見えて居たと思ひます。
此雪祭りの行はれる、伊豆権現は、豆州の伊豆山権現が将来せられたものに違ひありません。そして此を携へて来たのが伊東氏なのです。だから、新野の土地と、伊東の家と、伊豆権現の社とは、村の開発の最初から、放つべからざる関係を持つて居ました。其が、明治になつて、完全に伊東家の手を離れたので、たゞ、社と村との続きあひだけが、前よりも一層濃くなつた様に思はれます。伊東氏の古邸は、現在でも新野の東方、大村といふところに残つては居ますが、しかし伊東家の人は、既に先代の時から村を追はれて、山沢一つ越えた北に住み替へてしまつたと言ふ事です。
此伊東家を中心とした行事が、今日では、多少形をかへて残つても…

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