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両国界隈
りょうごくかいわい
作品ID47736
著者木村 荘八
文字遣い新字旧仮名
底本 「東京の風俗」 冨山房百科文庫、冨山房
1978(昭和53)年3月29日
入力者門田裕志
校正者伊藤時也
公開 / 更新2009-01-12 / 2014-09-21
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 永井さん(荷風子)が「日和下駄」の中の一節に路地について記された件りがある。
「……両国の広小路に沿うて石を敷いた小路には小間物屋、袋物屋、煎餅屋など種々なる小売店の賑はふ有様、正しく屋根のない勧工場の廊下と見られる。横山町辺のとある路地の中には矢張り立派に石を敷詰めた両側ともに長門筒袋物また筆なぞ製してゐる問屋ばかりが続いてゐるので、路地一帯が倉庫のやうに思はれる処があつた。」
「……路地はいかに精密なる東京市の地図にも、決して明らかには描き出されてゐない。どこから這入つて何処へ抜けられるか、あるひは何処へも抜けられず行止りになつてゐるものか否か、それはけだしその路地に住んで始めて判然するので、一度や二度通り抜けた位では容易に判明すべきものではない。」
「……路地は即ち飽くまで平民の間にのみ存在し了解されてゐるのである。犬や猫が垣の破れや塀の隙間を見出して自然とその種属ばかりに限られた通路を作ると同じやうに、表通りに門戸を張ることの出来ぬ平民は大道と大道との間に自ら彼等の棲息に適当した路地を作つたのだ。路地は公然市政によつて経営されたものではない。都市の面目、体裁、品格とは全然関係なき別天地である。されば貴人の馬車、富豪の自動車の地響に午睡の夢を驚かさるゝ恐れなく、夏の夕は格子戸の外に裸体で涼む自由があり、冬の夜は置炬燵に隣家の三味線を聞く面白さがある。新聞買はずとも世間の噂は金棒引きの女房によつて仔細に伝へられ、喘息持の隠居がセキは頼まざるに夜通し泥棒の用心となる。かくの如く路地は一種いひがたき生活の悲哀の中に自らまた深刻なる滑稽の情趣を伴はせた小説的世界である。而して凡てこの世界の飽くまで下世話なる感情と生活とは、またこの世界を構成する格子戸、溝板、物干台、木戸口、忍返しなぞいふ道具立と一致してゐる。この点よりして路地はまた渾然たる芸術的調和の世界といはねばならぬ。」
[#挿絵]
両国橋畔燈籠之図(風俗画報所載)

「横山町辺のとある路地の中」とあるのは、浅草橋から見て西へ、馬喰町の四丁目から一丁目へかけての片側と、横山町の三丁目から一丁目まで、それから少し通油町へかけて、この町家の中をまつすぐ貫いてゐる路地を指すものに相違ないが、これはやがて南北竪筋のみどり川へぶつかり、これに架る油橋で止まる。それまで相当細長い道中を、板じんみち、石じんみち、と一丁目毎に区切つて呼んでゐる。路地の路面に板が敷いてあるか石が敷いてあるかによつて、わかり易く分けて呼んだ通称である。ことはいふまでもなく、板が敷いてある――といふのが、元々それは大下水の蓋になつてゐるわけである。路地の通路の板なり石を一皮剥げば、真黒な下水ドブが現はれようといふ勘定だ。しかもこのドブの蓋の上の狭い通路をはさんで両側から、家々が背を向けようどころか、対々に堂々と正面向きで相向つてゐる賑はしさ…

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