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浅草灯籠
あさくさどうろう
作品ID47743
著者正岡 容
文字遣い新字旧仮名
底本 「東京恋慕帖」 ちくま学芸文庫、筑摩書房
2004(平成16)年10月10日
入力者門田裕志
校正者酒井和郎
公開 / 更新2015-12-20 / 2015-11-21
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 大正文化の一断片たる浅草オペラの楽屋並びにその俳優たちの生活を最も具さに美しく描破してゐるものは、谷崎潤一郎氏の「鮫人」だらう。何ゆゑに作者はあの秀作の筆を半途にして擲つてしまつたか、大正浅草風俗文化史の上からも一大痛恨事と云はざるを得ない。宇野千代、十一谷義三郎、浜本浩と同じ世界を材とした小説はそのゝちも寡くないが、「鮫人」のたゆたな力量感を上越す作品はまだ出現を見ないやうである。

「評判の、日本館の歌劇をみに入る。――舞踊劇「暗黒」といふものをみる。髪を長くしたり、異様な帽子をかぶつたりした芸術家の群をこゝかしこに見いだす。さかんに声のかゝることもうはさのとほり、われ/\の知らないうちに、われ/\の知らない時代の来たことを考へる」

とは久保田万太郎氏の「三筋町」よりであるが、帝劇のローシー歌劇からはじめて浅草俗衆の巴渦の真只中へと飛下りて来たその日本館での第一回公演をたしかに中学生の日の私も見ておぼえてゐる。佐々紅華作ではなかつたらうか、富士山印東京レコードでお馴染のお伽歌劇「目無し達磨」では花房静子、天野喜久代、沢モリノらわかい美しい女優の群れが大ぜい諷つたりをどつたりした。目無達磨の出で俄に本物の大薩摩がでて来て黒幕外で弾きまくつたら、私のすぐ前にゐたいかにも江戸つ子/\した印絆纏の男が大そううれしがつて手を叩いた。未だ/\当時の東京文化はそのやうに江戸末年の国貞国芳の市井味感と、海の彼方のクリスマス前夜のやうな金や紅の星ちりばめた西洋菓子味感とがおもしろくとんちんかんに相交錯してゐた。そのころ十四五歳の少年だつた私は薔薇いろに頬かゞやかした小作りの明眸皓歯、沢モリノに烈しい恋情をおぼえてゐた。私より年上としても二つか三つの姉であらうと考へてゐたからだつたが、間もなく仲見世の絵草紙見世で買ひ求めたオペラ役者の番付にはゆくりなくも沢モリノ、一見、青春をとめに装ひながら、じつは卅余歳の老嬢であることが分つて、私は全く茫然とした。かくては一夜にして十年以上の齢を重ねることなくんば、現世において到底彼女との愛恋をさゝやき得ることは叶ふまいと、容易に私はその恋ごころをおもひあきらめてはしまつたのだつた。が、のち数年ならずしていよいよ浅草オペラ隆昌に赴くのころ、たま/\私の小学校の旧友で当時厳格峻厳を以て知られてゐた付属中学の一年生なりしと云ふ良家の息は、当時チヤボの愛称もて普ねく喧伝されてゐた人気女優一条久子と仙台の地へ逃亡して、いたく学校当局を狼狽せしめた。直ちに放校処分を受けたOは巡業中に一条久子の急死するまで生活を等しくしてゐたらしいが、のち佃政一家の客分となり、晩年は肺を病んで事変以前さびしく死んでいつてしまつた。いまOの墓は小石川水道端の滝亭鯉丈が菩提寺に程ちかいところにある。さるにても一条久子をはじめ私の一と目惚れした沢モリノも、天華を襲つた…

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