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艶色落語講談鑑賞
えんしょくらくごこうだんかんしょう
作品ID47745
著者正岡 容
文字遣い新字新仮名
底本 「寄席囃子 正岡容寄席随筆集」 河出文庫、河出書房新社
2007(平成19)年9月20日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2009-01-29 / 2014-09-21
長さの目安約 38 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

   売色ところどころ



    岡場所の歌

 戦火に遭うまで大塚の花街に、私たちはいた。先だって輪禍で死んだ三遊亭歌笑の家のすぐそばにあたろう。
 その頃女房が教えていた新舞踊のお弟子はたいてい若い妓ばかりだったが、その中の一人が一日やってきて、
「先生、キミサリンって踊りを教えてください」
「キミサリン? そんな風邪薬みたいな踊り知らないわねぇ」
 言いつついろいろ考えた末、やっとわかって彼女、思わずふきだした。
 その踊りは、歌謡曲に取材したもので、すなわち、君去りぬ。
 同じ頃、拙作「花の富籤」を古川緑波君が上演、その前祝いを土地の待合で催したことがあったが、もうそろそろ酒が乏しく、サイレンが時々鳴き出す頃で、昭和十七年おぼろ夜、緑波君と脚色者の斎藤豊吉君と桂文楽、林家正蔵(当時は馬楽)両君と私たち夫婦で、女房の門下生の若い妓がズラリ十何人並んで何とこの勘定が七十余円、思えばゆめです。
 そういえば、永らく病臥していた柳家権太楼が、かつては文楽座で名人越路太夫の門人だったとやらで義太夫が自慢、一夜お客と大塚へ来て酔余、義太夫を語ったら、侍った芸者がじつによく弾く。
 そこで今度は権太楼浪曲を唸ったら、老妓またこれをおよそ達者に弾きまくる。
 少なからずテレて彼、その老妓の正体を洗ってみたら、いずくんぞ知らんや、浪曲界の奇才と謳われた先代浪華軒〆友の未亡人で、かつて女義太夫のベテラン。
 それじゃあ、浪曲も義太夫も巧いのが当たり前、権太楼先生ギャフンとまいった。
 〆友未亡人、小でっぷりした赤ら顔の人だったが、終戦後も健在だろうか。
 あの頃より国電の土手沿いまで大塚花街は発展したと聞くけれど、かの未亡人を思うにつけ坊野寿山子が川柳の巧さよ。
義太夫の芸者のような太りかた
 ついでに今少しく寿山子の花柳吟をあげようか。アプレゲールの花街風俗詩が、手に取るように書けている。
天井がない待合で二百円
上海のやうな値段で芸者買
どの花街も哀れやいつ建つ草の波
行く前に三百円は小料理屋
見番の骨ばかり出来あかざ草
下肥の匂ひこれが東京柳橋
おごりなら泊るあしたは外食券
入口は喫茶、小待合は奥
三味線は郊外できくものになり
帰りがコワイと三人で向島
水神は目ざせど電車でさとごころ
米の値にふれて遊びの枕許
氷屋の配達に似た客二人
 カストリが青大将のような匂いでハバを利かせ(残念ながら私も飲んだが)、停電が続き、は境い期にお米でビクビクしていた昭和二十一、二年の花街があまりにも如実ではないか。
 ありがたいかな、これも今は夢。

 今住んでいる市川では、土地の芸者衆はお弟子にしていないが、一番の美人はスラリと痩せ型の細おもて、上背のある千代菊の由。浅草から移ってきた某という、薄手細おもての人も婉である。
 幇間では東川喜久八が洗錬されていて、十八番は江戸前…

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