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旧東京と蝙蝠
きゅうとうきょうとこうもり
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「東京恋慕帖」 ちくま学芸文庫、筑摩書房
2004(平成16)年10月10日
入力者門田裕志
校正者酒井和郎
公開 / 更新2016-05-26 / 2016-03-04
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私は、昨年の明日、東京巣鴨花街の居宅を兵火に焼かれた。それから一年目の今日、ここ下総市川の里に卜居して残花の午下りを、嘱されて旧東京夏宵の追懐など閑文字を弄する境涯になつてゐられようとは、どうしてあのときおもひ知る由があつたらう。すべては是れ平和来の余沢と申さなければならない。
 年少返らぬ日の東京街上の夏景色をおもふとき、忽ちにして眼底に蘇へり来るは群青で波しぶき描いたあの笹嶋の氷屋の暖簾と夜空飛ぶ蝙蝠の群れとである。氷屋の暖簾にはまだ緑、水色など涼しい色気の玻璃玉を選んで滝のやうに硝子籠をぶら下げてゐる見世もあつた。夜になると硝子の方の簾は店内の燈花が反映して金や白金や銀にかがやきキラキラと一そう涼しさうだつた。のちになつて木下杢太郎の硝子問屋の詩や小説を愛誦したとき、ゆくりなくも私はこの昔の氷屋の硝子暖簾を聯想せずにはゐられなかつた。
 蝙蝠もまた旧東京文化の灯かげに生育したものにとつては、何にも換へがたくなつかしい少年の日の象徴である、記念品である、同性愛であるとさへ云へよう。全く私たちもしくはそれ以前の年齢の人たちにとつては、常に宵々の蝙蝠の群と共に、青春の哀歓をことごとく経験して来たのだつた。されば、紅葉山人を訪問する明眸千歳米坡が二頭立の馬車の上にも、そのころ花やかな人気の巴渦すててこの円遊が掛持ちの人力車の上にも、敗残の身をうらやるせなく路次裏抜けて行く花井於梅の瘠せ細つた肩先にも、さては名作「少年」をいま書けた許りの仄紅く双頬を興奮させながら遮二無二永代橋附近辺りのし歩いて行くわかき日の谷崎潤一郎のむらさきのトルコ帽の真上にも、一様に愛す可きこの小妖精は身をひるがへして飛び交つてゐたにちがひない、「よく泣きに行きしところと聞きしゆゑ代地の河岸はなつかしきかな」さうしてわが師、吉井勇の短歌の中なる薄命の美妓が、はふり落ちる涙の目で見上げた折柄の夕焼空、向ふ河岸の国技館の円屋根ちかくにも、黒豆をばら蒔いたやうな蝙蝠の姿は、必らずや一杯みいだされたらう。……遠く聞える行徳がよひの川蒸汽の汽笛……川波の音。

「蝙蝠も夏の宵の景物の一つであつた。江戸時代の錦絵には、柳の下に蝙蝠の飛んでゐるさまを描いてあるのを屡々見る。粋な芸者などが柳橋あたりの河岸をあるいてゐる、その背景には柳と蝙蝠を描くのが殆ど紋切形のやうにもなつてゐる」

 岡本綺堂先生の「薬前薬後」と云ふ随筆の一節にもかうしたことがかかれてゐるが、まことに「花暦八笑人」三篇追加の渓斎英泉の口絵も亦往還しげき妓女の背後を切りに蝙蝠の飛びまはつてゐる構図である。しかもその絵、黒々と夜空を塗つぶしてしまはず、あくまで真白のままなる空間を蝙蝠の点々としてゐることによつて、かへつて大江戸黄昏の放埒に似た薄ら明りを哀しく美しくこちらに感じさせてくれる。三篇追加といへば落語に所謂「汲み立て」のすぐ次の章…

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