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巣鴨菊
すがもぎく
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「東京恋慕帖」 ちくま学芸文庫、筑摩書房
2004(平成16)年10月10日
入力者門田裕志
校正者酒井和郎
公開 / 更新2016-06-18 / 2016-03-04
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 昭和廿年花季の戦火に巣鴨花街の僑居を焼かれてから早や二年有余の歳月がながれ去つた。大正大震以後、俄に隆昌しだしたこの新興色町は漸く町並に一種の情趣を生じて来たところで惜しくも焼亡してしまつたのである。何より町中のおもひもかけないところ/″\に桜欅その他の大樹の聳え立ち武蔵野の日の名残りを示してゐることが頗る私を喜ばせたが、戦後のその町はところ/″\に急造の旗亭が間を隔てゝ建てられてゐる許りで、他は一面の雑艸の原、破れトタンを立てめぐらしたバラック小屋が長唄の稽古所で「供奴」の三味線が流れて来るなど哀れが深い。私の旧居のあとにしてもむしろ未だに荒涼の空地となつてゐるのであつたならば、却つて一種の快い悲哀感をさそはれて前掲「旧東京と蝙蝠」中に於て嗟嘆したやうな詩文の感興にも駆られたであらうが、女房と春美とが舞踊教授を常としてゐたところにはいつの間にやら殺風景な古道具交換所などが建造されてしまつてゐて、到底ありし日のおもかげなど見る可くもない。せめても料亭か妓家のごときが建てられてゐたならば、幾分なりとも昔日の俤を回想するにも容易であつたらうが、生憎私どもの居住してゐた南側一帯は許可地でない故であらう、極めて生野暮な店舗許りがむさくるしく軒を並べてゐるので、私の結婚当初の生活への回想のよすがはいまやことごとく喪はれてしまつた。おもへば年少、祖父母の温情に培はれて生育つた浅草花川戸の旧居も、震火ののちは東武電車ガード下に編入されて全くに旧観を失ひつくし、いまゝたはじめて清福の作家生活結婚生活に入るを得た巣鴨の狭斜街の旧宅趾も亦過去一切を偲ぶ可くもなくなつてしまつた。この点、限りなく私は不倖であると云へよう。
 花街見番の後方、省線巣鴨駅へ通じる陋巷にはまた、何々園を名乗つた植木職が寡くなく、往昔の巣鴨染井の菊や躑躅のたぐひを育てゝゐた名残りらしく、秋の真昼の午下りなどこの辺の路次を抜けるとおもはぬ辺りから菊の花の香りなど漂つて来ることがあり、云ひがたない雅趣にさそはれたものであつたけれど、いまはあの辺も亦ことごとく花巷同様、見るかげもなくなつてしまつたことであらう。江戸年間の巣鴨の菊は、『東都歳事記』に拠ると「文化の末」に絶えたとあるが、弘化元年再興され、嘉永年間またやゝ衰へ、つひに流行は団子坂へと移動していつたものらしい。
 私は、この土地がかうした前代の景情を百余年後の昭和現代にも何となくのこし、つたへてゐるところに一と方ならない愛着をおぼえたので、居住当時機会ある毎に『江戸名所図会』『巣鴨総覧大正十四年版』のごとき地誌、岩野泡鳴、野上臼川らのこの地に取材した小説書の類ひを殊更に収集耽読することに務めたが、文政時代の刊行物たる『江戸名所図会』を披見すると、一見していかにも寥々たる武州大塚村の形相がうかゞはれ、『八犬伝』に名立たる名主蟇六など忽ちに登場して来さう…

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