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根津遊草
ねづゆうそう
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「東京恋慕帖」 ちくま学芸文庫、筑摩書房
2004(平成16)年10月10日
入力者門田裕志
校正者酒井和郎
公開 / 更新2016-06-18 / 2016-03-04
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私に団子坂周辺を描いた小説が二つある。一は旧作「置土産」であり、一は「団子坂薄暮」である。前者は冒頭の背景に団子坂菊人形の殷賑を描き、後者は明治の浮世絵師国政が落魄の後、団子坂菊人形の木戸番に身を落したと嘗て伊藤晴雨画伯より聞かされたエピソードに材を得て書上げた近作であつて、未だ筐底に蔵めてゐる。しかしながら私の団子坂菊細工の記憶は殆んど曖昧模糊たるもので、吉原張見世の記憶の確たるに比す可くもない。おもふに私が小学校へ入学したとき已に菊人形は両国国技館以外の地では此を浅草花屋敷に求めるよりなくなつてゐたからであらう。女房は流石にこの土地で幼時を過した丈けあつて私より余程若年ながら、子供のじぶんの秋養母がそこらを探し廻つてゐないと菊人形の小屋の前へ行つてその名を呼ぶと必らず中からヨチ/\現れて来たと云ふ。私に兎角団子坂取材の小説が多いのも、女房が年少の朝暮を過した土地であると云ふことへの、仄かな郷愁に似た感情の発芽であると云へるかも知れない。「菊細工すたりて根津の夜長かな」の句ある岡本綺堂先生には「菊人形の昔」と題する『半七捕物帳』の中の一作があつて、その冒頭には、

「一体江戸の菊細工は(中略)文化九年の秋、巣鴨の染井の植木屋で菊人形を作り出したのが始まりで、それが大当りを取つたので、それを真似て方々で菊細工が出来ました。明治以後は殆ど団子坂の一手専売のやうになつて、菊細工といへば団子坂に決められて仕舞ひましたが、団子坂の植木屋で菊細工を始めたのは、染井よりも四十余年後の安政三年だと覚えてゐます。あの坂の名は汐見坂といふのださうですが、坂の中途に団子茶屋があるので、いつか団子坂と云ひ慣はして、江戸末期の絵図にもダンゴ坂と書いてあります」

 増田龍雨翁が「下町の話」(『龍雨俳話』所載)にはまた、

「団子坂の菊人形は、今の坂の(昔はもつとせまい)両側に、菊人形の小屋が、がつしりした葭簀張で建てられ、立幟に、景気をつけて木戸番が、木戸札を叩上げて争つて客を呼んでゐたものだ。勿論、電燈のない時分だから、あかりの支度はあつたが、所詮は日一ぱいの興行であつた。そのころの団子坂と云へば、かなり場末である。菊人形は全くこの場末の興行物で、都会の匂ひは、どこにもなく、そこらのすべてが甚だ鄙びてゐたことであつた。(中略)団子坂の菊人形も入谷の朝顔と同様、植木屋の興行である。そのもつとも大きな構への家を、「種半」と云つたやうにおぼえてゐる」

と追懐されてゐる。両者を併せて読めば、読者は自ら団子坂菊人形の縁起と繁栄の状況とを識るに足るであらう。
 隣接は根津の陋巷。広津柳浪には根津に材した小説があると聞くが、私は未だ一読してゐない。鏡花小史が「通夜物語」は人も知る新派劇往年の当り狂言で、遊女丁山をして朱つ面の軍人を痛罵せしめた作者一流の任侠哀艶の情話である。

「根津の八重…

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