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山の手歳事記
やまのてさいじき
作品ID47778
著者正岡 容
文字遣い新字旧仮名
底本 「東京恋慕帖」 ちくま学芸文庫、筑摩書房
2004(平成16)年10月10日
入力者門田裕志
校正者酒井和郎
公開 / 更新2016-05-26 / 2016-03-04
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

猿飴

猿飴の猿に湯島の時雨かな
綺堂
 古風な彩色を施し市井芸術としての匂ひいと高い昔ながらの木づくりの猿の看板をかかげて本郷湯島の猿飴は、昭和十八年の末ちかくまで本郷三丁目から湯島天神祠へ至る南側の電車通りに、辛くも伝来の営業をつゞけてゐたが已にその舗のたゞずまひは安価低調なバラック同様の和洋折衷館となつてゐて、伝統猿飴の美しき陰影をつたへる何物とても最早なかつた。お成道の元祖と銘打つ黒焼舗は亥の年の地震にもまた今次の兵火にも焼かれたに、生変り/\建造するところの見世構へはいつも必らず『江戸名所図会』の挿絵をおもはせる風雅のもの許りである。それに比べて猿飴のこの安普請はいつそ情なく浅間しい。大正中世亡伊藤痴遊編輯当時の雑誌「講談落語界」の雑録は、黙阿弥が士族の商法のモデルとしたかの筆屋幸兵衛の一家がこの横丁に貧居を構へ、屡々猿飴へも飴を貰ひに来たと記録してゐたが、恐らくや当代の猿飴主人は、かうした明治市井文化の一断片としてのわが家の尊い存在をさら/\知るところなく、空しくあの猿の古看板を死蔵してゐたものにちがひない。

五分珠のお藤

 その猿飴の筋向ふの俚俗からたち寺――麟祥院を、世の貴紳の多くは烈女春日局の菩提所として記憶してゐよう。然るに極めて懶惰無頼なる市井の一文人たる私は明治初世の持凶器強盗清水定吉がのちにその情人たりし五分珠のお藤との最初の出会の舞台面としてのみ、専らここの卵塔場をば興趣深いものにおぼえてゐる。お藤は巷間の悪婆であつて、連夜、太棹の流しを試みては歩行してゐるをんな。偶々此も按摩姿に浮世を忍んで流してゐる定吉に呼留められて肝胆相照らすのであつた。
 この件り、関東節では亡小金井太郎が十八番とし、当代の玉川勝太郎も亦わかき日は好んで語つた。共に故人戸川盛水を宗としてゐる。しかしながら同じく、清水定吉伝を得意としてゐた先代木村重正からは、この一席はつひに聴く機会を持たなかつた。重正語るところの一節にも湯島界隈の牛肉店へ定吉の忍入らうとする物語があつたことをおもへば、或はその凶行の手引にはお藤が関与してゐたものかもしれない。
 講談では煙ジウと仇名された畸人の老前座松林円盛が伯円種として此を読み、当代の神田五山七世貞山それ/″\この怪盗伝をば手がけると聞くが、此又、五分珠お藤の登場はあるや否や、そのうち両君に質して見よう。あはれ姥桜、残んのいろ香艶に婉なる三十女お藤が匂はしき体臭よ。癇癪持らしい色白面長のその顳[#挿絵]には頭痛膏の江戸桜が小さく切つて貼られてゐよう。

豊国の庭

 昭和十六年晩秋の一夕私は北条秀司君に招かれて、この開化味感溢るゝ楼上に酔語した。北条君は珍しく酔つて、同君がそのころ悶々してゐた悲恋に付いて談るところがあつた。深々と繁茂した植込及び奥山を隔てて遠く池の端根津方面を眺望するこの庭園の景観はすべて昭和現代の…

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