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寄席風流
よせふうりゅう
作品ID47780
著者正岡 容
文字遣い新字旧仮名
底本 「東京恋慕帖」 ちくま学芸文庫、筑摩書房
2004(平成16)年10月10日
入力者門田裕志
校正者酒井和郎
公開 / 更新2016-06-06 / 2016-05-15
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

寄席の庭

町中や庭持つ寄席の畳替
龍雨
 かうしたいまは絶えて見られなくなつてしまつた寄席の庭のおもかげ。いしくもそれをつたへてゐる尊い文献の一つに漱石が「硝子戸の中」の日本橋伊勢本を叙するの章りがある。全体「硝子戸の中」には講釈に関する随筆が少からず、のん/\南龍や琴凌をなのつてゐた時代の先代馬琴の読み口や、作者の生家たる牛込馬場下界隈の、年中廿人位のお客を相手に南麟と云ふ講釈師許りがかゝつてゐたさうな世にも佗びしい釈場の光景や、同じく馬場下のやつちや場の娘が貞水(恐らく先々代早川貞水だらう)と「死ぬの生きるのと」云つたと云ふ話や、随分いろいろと誌されてゐるのではあるが。
 さてその伊勢本の庭については、

「高座の後が縁側で、その先がまた庭になつてゐた。庭には梅の古木が斜めに井桁の上に突き出たりして、窮屈な感じのしない程の大空が、縁から仰がれる位に余分の地面を取込んでゐた。其庭を東に受けて離れ座敷のやうな建物も見えた。(中略)長閑な日には、庭の梅の樹に鶯が来て啼くやうな気持もした」

云々。
 この文章の中の「高座の後が縁側で、その先がまた庭」と云ふのは、いまのひとたちにはちよつと何のことだか分るまいが、大震災以前の釈場にはところによるといまの高座の構造とは全く別な仕組みの、つまり湯屋の番台をどうにかしたやうなこしらへものがニョポッと客席のよきところに築き上げられてゐたものだつたので、従つて出演の講釈師たちはみな客席の中にわたされてゐるながいながい歩みの板をわたつて来てはこの高座へと上がつたわけで、故人神田伯山が全盛の砌りなど浅草の金車では歩みから高座へと上り切るまで拍手の絶えなかつたことがあつたと、嘗て神田伯龍は私に談つた。金車のほかでは柳原寄りにあつた神田の小柳が私がおぼえてからの、番台式の高座だつた。いま漱石の文章の塩梅から想像して恐らくこの伊勢本の高座も亦さうだつたのではないかとおもふので、この機会にいまは絶えてなくなつてしまつたかうした高座の様式をわざ/\かいておいて見た次第だが、しかし私自身の伊勢本の記憶と云へば、稚いじぶんの冬の晩、どこのかへりだらう大叔母に手をひかれてもう半分ほど大戸を下ろしてしまつた、[#挿絵]だか山本だかで買物をすまし、おもてへでると、世にもけざやかな寒月の下江戸茶番大一座のその名前を世にも黒々と太文字で記した招き行燈の灯のいろが恋びとの眸のやうにまたゝいてゐたほかにはないのだから、果而伊勢本の高座がその番台様式のものだつたかどうか、そのへんは誰かに質して見ないと分らない。
 閑話休題――それにしてもいまは殆んどどこの寄席にも庭らしい庭がなくなつてしまつたけれども私がおぼえてからの寄席の庭ではやはり本郷の若竹だらう、客席の両側に並行してだだ長い庭があつて、向つて右側には席の名に因んでか、竹の叢りいと多かつた。左側は祠…

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