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私の先生
わたしのせんせい
作品ID47785
著者林 芙美子
文字遣い新字新仮名
底本 「林芙美子随筆集」 岩波文庫
2003(平成15)年2月14日
初出「文芸首都」1935(昭和10)年4月
入力者岡本ゆみ子
校正者noriko saito
公開 / 更新2008-04-06 / 2014-09-21
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は十三歳の時に、中国の尾道と云う町でそこの市立女学校にはいった。受持ちの教師が森要人と云うかなりな年配の人で、私たちには国語を教えてくれた。その頃、四十七、八歳位にはなっていられた方であったが、小さい私たちには大変おじいさんに見えて、安心してものを云うことが出来た。作文の時間になると、手紙や見舞文は書かせないで、何でも、自由なものを書けと云って、森先生は日向ぼっこをして呆んやり眼をつぶっていた。作文の時間がたびかさなって、生徒の書いたものがたまってゆくと、作文の時間の始めにかならず生徒の作品を一、二編ずつ読んでは、その一、二編について批評を加えるのが例になった。その読まれる作品は、たいてい私のものと、川添と云う少女のもので、私の作品が、たいていは家庭のことを書いているのに反して、川添と云う少女のは、森の梟とか幻想の虹とかいったハイカラなもので、私はその少女の作品から、「神秘的」なと云う愕くべき上品な言葉を知った。
 十三歳の少女にとって、「神秘的」と云う言葉はなかなかの愕きであって、私はその川添と云う少女を随分尊敬したものだ。――森先生は、国語作文のほかに、珠算を時々教えていられたのだが尾道と云う町が商業都市なので、課外にこの珠算はどうしてもしなければならなかった。私の組で珠算のきらいなのは、私と川添と云う少女と、森先生とであったので、たいていは級長が問題を出して皆にやらしていた。
 森要人先生は、その女学校でもたいした重要なひとでもないらしく、朝礼の時間でも、庭の隅に呆んやり立っていられた。課外に、森先生に漢文をならうのは私一人であったが、ちっとも面倒がらないで、理科室や裁縫室で一時間位ずつ教えを受けた。頭の禿げあがったひとで、組でもおぼろ月夜とあだ名していたが、大変無口で私たちを叱ったことがなかった。
 秋になって性行調査と云うのが全校にあって、毎日一人か二人ずつ受持ちの教師に呼ばれて色々なことをたずねられるのであったが、私たちはまだ一年生で恋人もなければ同性愛もなく、別にとりたてて調べることもないのであったが一人ずつ呼ばれた。私も何人めかに呼ばれて、森先生は呆んやりした何時もの日向ぼっこのしせいで「どんな本を読んでいるか」とたずねた。私は『復活』と『書生かたぎ』と云うのを読んでいると云ったら、すこし早すぎるとそれだけであった。
 森先生は、私たちが二年になると千葉の木更津中学へ転任してゆかれた。めだたないひとだったので誰も悲しまなかった。先生の家族を停車場へおくって行ったのは生徒で私ひとりであった。私はそれからも、その先生の恩に報いるため、母にねだっては時々名物の飴玉を少しばかり送った。(坊ちゃんが二、三人あったように記憶していたので)暫くして、私たちの国語の教師には早大出の大井三郎と云うひとがきまった。まだ二十四、五のひとで、生徒たちにたちまち人…

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