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宗十郎を悼む
そうじゅうろうをいたむ
作品ID47807
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 22」 中央公論社
1996(平成8)年12月10日
初出「東京日日新聞」1949(昭和24)年3月4日
入力者門田裕志
校正者酒井和郎
公開 / 更新2018-03-02 / 2018-02-25
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

播州姫路といへば、沢村一家と因縁のありさうな土地である。そこへ興行で回つて行つて、倒れた宗十郎を思ふ。千鳥の声を幻想して、静かな眠りに落ちて行つたのだらう。
大谷派の本願寺の三代前の法主大谷光瑩さんの落しだねだといふうはさが、古くからあつた。近ごろでは、それを事実と信じる人が多くなつた。それはどうでもよいが、彼の芸質を考へるには、相当に意義のある知識である。
「苅萱」や「良弁」の抜群であつたのも、先天性が輝き出たのだといへばいへる。
この人の舞台は、にぎやかで愉しかつた。おもしろく芝居する人であつた。併し以前からさうだつたとはいへない。寂しくはなかつたが、憂鬱な気のする時期もあつた。このやうに専らおもしろく演ずるやうになつたのは、近年のことだというてよからう。舞台がおもしろいといふ点では、先代訥子、現在延若を越える者はなからう。おなじく先代の源之助も、自分ではつまらなさうにしてゐる事もあつたが、人は十分楽しんで見てゐる。いはゞ演出法が花やかだつたのだ。技巧的だといひ替へても、さし支へはない。
それと共に、小芝居的であるといふことも出来るやうである。それとまう一つは、時としては、味もそつけもない気のする菊五郎の写実芸と対蹠してゐるものといへる。世間式の見方からすれば、古風な技術や表情が多いのだといつても悪口をいふことにはならぬ。何しろ、先代田之助及び彼の養父高助二人ながら見なかつた私だが、とりわけ田之助は、したい傍題にふるまつて、いはゞ沢村一門の、栄えをさらつて行つたやうな男で、その後だれ一人、大芝居ではぱつとしなかつたやうである。
訥升時代には、どうやら、家橘――羽左衛門を抜きさうに見えたが、それも単なる空想のやうに過ぎて行つた。歌舞伎座から帝国劇場時代へかけては、立役畠では幾人も先輩があつた。女形の方でも歌右衛門・梅幸があつて、二人の立女形に対して、娘形に回らねばならなかつた。太宰の後室をする代りに雛鳥が回つて来たり、戸無瀬に対してお石を受けとるならまだしも、小浪に納められたり、道春の後室をとられて、桂姫を振られたりした。それで、娘形として本領を開かうとした。これはよかつた。「矢口渡」のお舟などは、その意味での開拓だつた。夕しで・お光など彼の持役となるはずのものは幾らでもあつた。だが却てさういふ広々とした方へは進まず、二枚目の方へ出て行つたのが、帝国劇場時代の彼であつた。この側では江戸の「ぴんとこな」には勝ち目がなく、上方の「つゝころばし」には適して、鴈治郎や延若を見てゐる人には何か濃厚味の欠ける所のある気がした。彼は、若い訥升時代に、大阪へ行つて、十一代目仁左衛門の引き立てで、実に豊富に役々を経験して来てゐる。
これが宗十郎一代の芸の方角を定めた。二枚目の中、どちらかといへば「つゝころばし」に分類せられることもあるが、実は、大分変つた領域のある若殿・若旦…

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