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長崎の鐘
ながさきのかね
作品ID4781
著者原 民喜
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の原爆文学1 原民喜」 ほるぷ出版
1983(昭和58)年8月1日
入力者ジェラスガイ
校正者大野晋
公開 / 更新2002-09-28 / 2014-09-17
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 No more Hiroshima! これは二度ともう広島の惨禍を繰返すな、といふ意味なのだらうが、ときどき僕は自分自身にむかつて、かう呟く。広島のことはもう沢山だ。どうして僕は原子爆弾のことばかり書いたり考へたりするのだらう、ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ヒロシマ……と。それだのにふと街を歩いてゐて電車のスパークを視ただけでも、僕の思考は真二つに引裂かれ、パツと何もかも地上一切のものを剥ぎとつてしまふ一刹那がすぐ向ふに描かれるのだ……。
 昭和二十年八月九日、広島から四里あまり離れた地点で、僕は防空壕の中にゐた、あの不思議な新兵器のことは、この附近の人にも知れ渡つてゐたが、まだ何といふ呼び方をするのか判らなかつた。壕のなかで一人の青年が僕に話しかけた。
「京都もやられたさうですね、あれに」
 あれに……。あれは今もすぐ頭上に閃くかもしれなかつた。京都も大阪も東京も、そんな地名や場所がまだ存在してゐるのかしらと遭難者である僕はその時考へてゐたものだ。警報が出るたびに、あれは僕たちを脅かしつづけた。
 僕があれの名称を知つたのは八月十六日だつた。新聞の届かない僕たちのところへ、町からやつて来た甥がゲンシと耳なれぬ発音をした。と、ゲンシといふ音から僕はいきなり原始といふイメージが閃いた。あの僕の眼に灼きつけられてゐる赤く爛れたむくむくの死体と黒焦の重傷者の蠢く世界が、何だか原始時代の悪夢のやうにおもへた。ふと全世界がその悪夢の方へづるづる滑り墜ちるのではないかとおもへたものだ。
 しかし、もう戦争は終つてゐたのだ。戦争は終つたのだといふ感動が、それから間もなく僕に「夏の花」を書かせた。あのやうに大きな事柄に直面すると、人間のもつ興奮や誇張感は一応静かに吹きとばされるやうである。僕は自分が体験した八月六日の生々しい惨劇を、それがまだ歪まないうちに、出来るだけ平静に描いたつもりである。
 その後、僕は原子爆弾について他人の作品や記録は全然読む機会がなかつた。が、時の経つに随つて、人間の記憶は歪み表現は膨れ上るから僕と同じ体験をした人たちが、もし後日あの事を書いたり語らうとすると、次第に制し得ぬ興奮や誇張がつけ加はるだらうと考へてゐる。そしてそれはまた実に止むを得ないことでもあるのだ。原子爆弾のことならこれこそは人類の全運命を左右する鍵なのだから、人はどのやうに興奮しても強調してももうこれでいいといふ限度には到達しない。現に僕の観念のなかでも、その後、膨れ上つたものや歪められたものが波状に揺れ返り、絶えず見えないところにあつて閃く光線があるやうだ。僕は今度はじめて永井隆氏の「長崎の鐘」を読む機会を得た。あの体験記を読んだ直後僕はやはり妙な興奮状態になつた。その夜、電車通を横切らうとすると、何かに躓いて僕はパタンと前へ倒された。僕は惨劇のなかにゐるような気がしたものだ…

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