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日本の女形
にほんのおやま
作品ID47815
副題――三代目中村梅玉論――
――さんだいめなかむらばいぎょくろん――
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 22」 中央公論社
1996(平成8)年12月10日
初出「夕刊新大阪」1947(昭和22)年11月20日~22日
入力者門田裕志
校正者酒井和郎
公開 / 更新2018-03-18 / 2018-02-25
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

今の梅玉が、福助から改名した披露の狂言は、その当時、親をがみに正月郷家に帰つてゐて、見ることが出来た。「石田ノ局」を出し物とし、ほかに主立つた役では今一つ「安達原」の袖萩を勤めてゐた。折も折、彼自身長く女房役をつとめて来た鴈治郎が、危篤で、出てゐなかつた。何やら、やがて来る大阪芝居の寂しさがきざしてゐるやうで、晴々とした印象が残つてゐない。
それより卅年前、明治四十年の冬、政治郎から福助になつたのは、その父福助が二代目梅玉の名びろめをした時であつた。この時、私はまだ東京の学生で、修学旅行か何かのついでに帰つてゐて、偶然この芝居も見たわけであつた。親子の出し物が「矢口ノ渡」で、新梅玉は頓兵衛、福助はお舟であつた。同時に「松浦太鼓」の筋をなぞつたやうな気のする書き卸しの土屋主税も出て、父は宝井其角、子は腰元お園であつたのが、目に残つてゐる。まだ芝居と見せ物との差別もよくわからぬ学生のことだから、纏つた記憶などはない。唯、矢口ノ渡に六蔵をつきあつた鴈治郎が、あまり柄が大き過ぎて気味わるかつたことが印象してゐる。土屋主税はその後幾度見たか知れぬ。勢、記憶も此時のものと言ひかねる。
親梅玉の芸歴を思ひ出して見ることが、子当代梅玉の芸質を語ることになるだらうから、少しづゝ思ひ出してゆきたい。
何より先に、私の想像とも記憶とも判断出来なくなつた古い幻影の一つ――何の為に残つてゐるのかわからぬ――従つて何かの錯誤かも知れぬが、あまりまざ/\してゐるから、書いておく。まだ同様の記憶めいたものを、持つてゐる方もあらうし、家職がら、別に梅玉君の優雅な印象を加へても、恥辱にもなるやうなことはあるまいから、私の梅玉観の初頭に浮んで来る澄み切つた姿として書くことを許して貰ふ。
まだ政治郎の若い盛り、遂げられさうもない恋に悩んで死を覚悟した二人――一人は舞子であつたか、すでに芸者になつてゐたか、すべておぼろな記憶になつてしまつたが――の清純で哀切な告白の書かれた書き置きめいたものが、親福助に届けられた。それでいま高砂屋一家は、わき返つてゐる。こんなうはさ話が突如として、私ども繁華な生活と関連のない家庭へも聞えて来た。新聞に出たのか、それともほかにも一つ出処らしいものがあつたのか。といふのが、私の家に出入りする者に、高砂屋門の福松郎――後、中村玉七――の身よりの者があつて色々芝居町の花やかな話題をまきこぼしていつた。それの口から出たことかも知れぬ。一昨年のこと、銀座松屋呉服店の横の通りをあちらから来るやせた長身の老紳士と、その紳士に似過ぎるほど似た夫人とがあつて、孫か親類の子かと思はれる小さな子を間に、歩いて来るのを見かけた。気がついて見ると、男は梅玉君であつた。とつさ、あゝこの人々も、あのことの後久しい幸福を続けて来られたのだなといふ感じが、つきあげて来て、通りすがりの後、しばらく私も清…

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