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進化学より見たる哲学
しんかがくよりみたるてつがく
作品ID47851
著者加藤 弘之
文字遣い旧字旧仮名
底本 「明治文學全集 80 明治哲學思想集」 筑摩書房
1974(昭和49)年6月15日
初出「哲學雜誌 第二十五卷第二八五號」1910(明治43)年11月
入力者岩澤秀紀
校正者川山隆
公開 / 更新2008-07-14 / 2014-09-21
長さの目安約 36 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 井上哲博士が先頃心理學會で「哲學より見たる進化論」と云ふ題にて講演されたとのことで、それが哲學雜誌の第二十五卷第二百八十一號に掲載してある、それを讀で見ると余の意見とは全く反對であるから余は今囘「進化學より見たる哲學」と云ふ題で聊か批評を試みたいと考へたのである、併し余は進化學も哲學も十分に知て居るのではないから井上博士の説を批評する抔いふことは頗る大膽すぎたことで到底物にはなるまいと思ふ、豫め此事を申述て置く。
 ところが博士の講演は隨分長いものであるから一席の演説に、それを委しく批評することは到底出來難い、仍て其要點と思ふ部分に就てのみ論ずる考であるが併しそれにしても又隨分長い演説になるであらうと思はれるのであるから務めて簡略にする考である。尤も博士の論説の大要を始めに擧げて、それから後に余の意見を述べるやうにするよりも先づ博士の論説の中を一節宛切て擧げて毎節に余の批評を加へることにしやうと考へる、そこで博士は先づ左の如く述て居る。
 井上博士曰、余は決して進化論を否定せぬのみならず、それを大に道理ある學説と考て居るのであるが併し惜いことには進化論は唯末の事のみを見て根本的の道理を忘れて居るやうに思はれる點が少なくない、然るに凡そ進化を説くには必ず先づ運動といふことを説かねばならぬ、而して其運動を説くには必ず又其起因となるものがなければならぬのであるけれども、進化學は夫等の事を全く不問に付して少しも研究せぬのであるから其道理から考へると進化論は決して哲理とはならぬのである、進化論では靜的實在から動的現象の始めて生ずることも全く解らぬ、此靜的實在なるものは哲學上種々の名目がある、佛教では眞如實相と云ひスピノーザ氏は本體(Substanz)と云ひカント氏は物如(Ding an sich)といふの類である、けれども進化學者には左樣なものは少しも解らぬから唯々末の研究のみをして居て其本源には一向構はぬのである云々。
 評者曰、宇宙には必ず一の靜的實在なるものがあつて是れは微塵も動かぬものである、實在は不動であるが現象は動である抔と考へるのが抑の大謬見ではなからう乎と余は考へるのである、動靜といふ反對の状態は古來學者に限らず一般に想像することであるけれども余の考ふる所では眞の靜なるものは絶無であつて靜と見えるのは全く動の少ないのではない乎、宇宙萬物皆恆に活動して居るのであらう、其外に唯一の靜なる實在があるとは何分にも考へられぬではない乎、物理學の開けぬ時代には熱の反對に寒なるものがあると考へたのであるが、それは大なる間違で寒と認めるのは全く熱の少ないのであるといふことが解つたのであるが動靜の反對的状態も矢張それと同じことではない乎、併し井上博士は實在は宇宙萬物の一ではない全く宇宙の本源である、それゆへ活動するものではないと言はれる乎も知らぬが其主張の謬つて居るこ…

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