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ある恋の話
あるこいのはなし
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「藤十郎の恋・恩讐の彼方に」 新潮文庫、新潮社
1970(昭和45)年3月25日
初出「婦人之友」1919(大正8)年8月
入力者川山隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2008-08-29 / 2014-09-21
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私の妻の祖母は――と云って、もう三四年前に死んだ人ですが――蔵前の札差で、名字帯刀御免で可なり幅を利かせた山長――略さないで云えば、山城屋長兵衛の一人娘でした。何しろ蔵前の札差で山長と云えば、今で云うと、政府の御用商人で二三百万円の財産を擁しておろうと云う、錚々たる実業家に当る位置ですから、その一人娘の――尤も男の子は二人あったそうです。――祖母が、小さい時からお乳母日傘で大きくなったのは申すまでもありません、祖母の小さい時の、記憶の一つだと云う事ですが、お正月か何かの宮参りに履いた木履は、朱塗の金蒔絵模様に金の鈴の付いたものでしたが、おまけにその木履の胴が刳貫になっていて、祖母が駕籠から下りて木履を履く時には、ちゃんとその中に湯を通して置くと云う、贅沢な仕掛になっているそうであります。
 祖母は、やっと娘になったかならないかの十四五の時から、蔵前小町と云うかまびすしい評判を立てられたほどあって、それはそれは美しい娘であったそうです。が、結婚は頗る不幸な結婚でありました。十七の歳に深川木場の前島宗兵衛と云う、天保頃の江戸の分限者の番附では、西の大関に据えられている、千万長者の家へ貰われて行ったのですが、それは今で云う政略結婚で、その頃段々と家運の傾きかけた祖母の家では前宗(前島宗兵衛)に、十万両と云う途方もない借財を拵えていましたが、前宗と云う男が、聞えた因業屋で、厳しい督促が続いたものですから、祖母の父はその督促除けと云ったような形で、又別の意味では借金の穴埋と云ったような形で、前島宗兵衛が後妻を探しているのを幸いに、大事な可愛い一人娘を、犠牲にしてしまったのです。
 何でも祖母が結婚した時、相手の宗兵衛は四十七だったと云うのですから、祖母とは三十違いです。それに、先妻の子が男女取り交ぜて、四人もあったのですから、祖母の結婚生活が幸福でなかったのは勿論であります。その上、宗兵衛と云う男が、大分限者の癖に、利慾一点張の男だったらしいから、本当の愛情を祖母に注がなかったのも、尤もであります。その上、借金の抵当と云ったような形ですから、金で自由にしたのだと云う肚がありますから、美しい玩具か何かのように愛する代りに弄び苛んだのに過ぎませんでした。その頃まだ十七の真珠のように、清浄な祖母の胸に、異性の柔しい愛情の代りに、異性の醜い圧迫や怖しい慾情などが、マザマザと、刻み付けられた訳でした。が、幸か不幸か、結婚した翌年宗兵衛は安政五年のコロリ大流行(今で云う虎列剌)で、不意に死んでしまいました。
 その時、祖母は私の妻の母を懐胎していたのです。何しろ、先妻の子は四人――然もその長男は二十五にもなっていたそうです――もある所に、宗兵衛の死後、祖母が止まっていると云うことは、まだ年の若い祖母の為にも、先方の為にも思わしくないと云うので、祖母が身が二つになると同時に、生れ…

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