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かお
作品ID47859
著者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第一卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年5月28日
初出「文藝春秋 第十一年第一号」1933(昭和8)年1月号
入力者tatsuki
校正者大沢たかお
公開 / 更新2012-10-07 / 2014-09-16
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 路易はすぐ顏をぱあつと赤くした。
 自分でもいやな癖だと思つてゐたけれど、どうしやうもないのであつた。何でもないのに「そら、また……」といふ氣がひよいとする。が、その時はもう遲い。見る見るうちに彼の頬は薔薇色になつてしまふ。同級生たちには「吸取紙」といふ綽名までつけられる。どうしてこんなんだらう。いやだなあと彼は悲しんでゐる。その癖、路易の毛髮と言つたら! それは硬くて硬くて、ほとんど梳づれないほどであつた。だから彼はいつもそれをもじやもじやにさせて置いた。それは灌木林のやうに茂つてゐた。

 理髮店の思ひ出。アイロンの光澤のある、眞つ白な布に彼はすつかり包まれる。するとその中が窮屈で窮屈で、自分の手の置場所がないやうに感ぜられる。そのうち血が顏へさあつと昇つてくる。「そら、また……」さう氣のつくときは、もう彼の顏は一枚の吸取紙のやうになつてゐる。蒸しタオルがやつとそれを隱してくれる。石鹸の泡のひいやりとするのがほんとに氣持いい。顏を剃つたあと、最後の蒸しタオルがのけられる。そそつかしい理髮師はいつの間にか彼に彼のでないやうなよそよそしい顏をくつつけてしまつてゐる。彼はちよつと戸まどひしながら、理髮店を出る。

 路易には、その頃の寄宿舍の思ひ出は、寢室のいやなにほひや、結核患者の弱々しい咳や、毛のついた石鹸の氣味惡さで一ぱいだつた。
 寄宿舍へはひつたばかりの頃、路易は或る年上の圓盤投げの選手にいぢめられてばかりゐた。もう一人、路易のやうにその選手にいぢめられてゐる少年が彼とおなじ學級に居た。或る晩、路易はその血色のよくない、痩せた少年と一しよに、さびしいグラウンドの方へ逃げて行つた。二人ともすつかりおびえ切つてゐた。その少年はいつか路易の手を握つてゐた。
 さうして彼は弱々しい咳ばかりしてゐた。路易はその少年のいつも血の氣のない頬がその時ばかりかすかに赤らんでゐるのを夜目にこつそりと見た。路易はそんな顏がうらやましかつた。
 路易は自分がその同級生に愛されてゐることを知つた。しかし路易にはそれよりか、自分がその少年自身になつてしまひたいのだつた。
 教室で、路易は、その少年の細そりした頸や軟かい髮のまはりに夢を編んだ。

 夏休みになつた。
 路易は母と一しよに或る海岸へ行つた。同級生は病氣になつた。彼はときどきラヴ・レタアのやうな手紙を書いてよこした。路易はそれにはろくすつぽ返事も出さなかつた。さうして同じ放館にゐるスポオツの好きな或る兄妹に夢中になつてゐた。日に焦けて、彼等は樹皮のやうな肌をしてゐた。路易はその男の子のやうな少女の氣に入りたいと思つた。彼はその兄のやうになるためにせつせとキヤツチボオルの練習や日光浴をした。
 或る時、海岸の大きな傘のやうな松の木の下に、その少女が一人の痩せぎすな青年とならんで一組の戀人のやうに坐つてゐるのを見つけた…

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