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作品ID47878
著者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第四巻」 筑摩書房
1982(昭和57)年8月30日
初出「新潮 第三十二巻第一号」1935(昭和10)年1月号
入力者tatsuki
校正者染川隆俊
公開 / 更新2010-07-12 / 2014-09-21
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一 秋になりました……

 秋になりました。夏の間、A山の向う側にあるいくつかの牧場に預けられてゐた牛どもも、再びこの村に歸つてきました。その背なかの黒い斑は、なんだか私には、さまざまな見知らぬ牧場の地圖のやうに懷かしく見えるのです。夏ぢう少年や少女たちの乘りまはしてゐた馬どもも、この頃はせつせと刈草を背負つて、村を通り過ぎます。いまから冬の間の食物を貯めるのですが、その刈草の中にはあなたの大好きな松蟲草も、あのかはいらしい花をつけたまま、混つてゐたりしてゐますよ。私は郵便局のとなりの小さな毛皮店で、もう店をしめるといふものだから、なんといふことなしに、つい栗鼠の毛皮を一枚と、秦皮樹のステッキを買つてしまひました。いつもどつちの店で買はうかと、あなたとジャン拳をして決めたりした、あの竝んだ二軒の花屋の前にも、もうめつきり花が少くなりました。お客ももつと少いのでせう。夏のうちはその花屋の主人たちまでが、そんな私たちのジャン拳をにこにこしながら見てゐたものですが、この頃ぢや、もし私がその一方で買はうものなら、もう一方の主人は私にひどく無愛想な顏をして見せるんで、こつちももう花の好きな相棒もゐないしするから、「花なんか勝手にしやがれ」と云つた顏つきで素通りするきりですが、まだその片方の店先きにぶらさがつてゐる ICE & FLOWERS といふ招牌の文字だけは、否でも應でも私の眼に飛びこんで來るんです。そしてそのちよつとばかし氣取つた横文字の脇に、これはまたいかにもお粗末な日本字で「氷ト花アリ」と小さく書いてあるのまで眼に入れると、なんだかかう私は頸卷でもしたくなつて來ます。さう、氷といへば、――いつかあなたと村からずつと遠くまで散歩に待つた時、向うの草原の眞ん中にしやれた藁屋根のシャレエらしいものが一つぽつんと立つてゐるのを見て、「やあ、あんなところにも別莊があらあ」とびつくりしたことがあつたでせう。ところが、この間、私があのへんを一人で散歩をしてゐるうちに、思ひがけずその藁屋根のシャレエの前へ出てしまつたら、それは何と氷室だつたのです。だうりで窓らしいものが一つもなかつた筈です。その氷室の裏へまはつて見たら、からつぽの大きな池があつて、それが梁のやうに組み合はした丸太で圍まれてゐました。冬になると、そこに水を流し込んで置いて、丸太に蓆かなんか掛け、すつかり日蔭にして氷をつくるやうな仕掛なのでせうか。丁度、誰もゐないらしいので、五六枚蓆の垂れさがつてゐるその入口のやうなところからそつと覗いて見ると、中にはまだ賣れ殘りらしい氷がうんとこさ積んでありました。……


二 主人と犬と

 或る日、私は村の雜貨店から小學生用の帳面を十錢で買つて來ました。表紙には、何處か瑞西あたりらしく見える、山の中の冬景色が描かれてありました。赤あかと夕燒けのした空と、その反射…

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