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山日記その二
やまにっきそのに
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第四卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年8月30日
入力者tatsuki
校正者染川隆俊
公開 / 更新2013-09-22 / 2014-09-16
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より


 十月九日
 こちらはもう秋が深い。冬までゐられさうなことを言つてゐた川端さんも、これからずつと木曾をまはつて鎌倉へ歸ると、さきをとつひお別れに來られたが、たぶんけふあたりはその木曾を旅してゐられることだらう。僕達はいまやりかけてゐる「續かげろふの日記」の仕上がるまでは頑張つてゐるつもりだが、さあ、いつ出來上がることか知らん? 實はその仕事もいよいよこれからといふところで、僕が一週間ばかり寢込んでしまつたので、二人ともすつかり悄げてゐた。が、きのふけふはもう大ぶいい。――その病氣の原因はといふと、こなひだうちの栗拾ひらしい。採れたときは、わが家のまはりだけでも、さう、毎日百個ぐらゐづつは採れたらう。しまひには僕よりも身輕な女房に、裏の大きな栗の木に登らせて、枝をゆすぶらせると、忽ち二十やそこいらは大きな音を立てて落ちてくる。僕はその木の下で、それを傍から拾ふのである。そんな勞働が過ぎてか、或晩、僕はなんだか身體がへんに大儀なのでためしに熱を測つて見たら、三十八度近くもあつた。……それからはもう朝つぱらから大きな音を立てて屋根の上なんぞに落ちるのもそのままにさせつきり、女房を傍らのラッキング・チェアに坐らせて、おとなしくベッドに寢てゐた。川端さんがお別れに來られたのはそんな最中だつたのでちよつと淋しかつた。歸られたすぐあと、藤屋の子供が川端さんを搜しに來たので、丁度いいところと思つて、まだどつさり殘つてゐた栗をみんな川端夫人にお屆けさせたりした。――しかし、もうそんな熱もすつかり下つた。
 こんやあたりから又ぽつぽつと仕事をはじめようかとさへ思つてゐる。その前にちよつと夕方庭へ望みたら、僕が閉ぢ籠つてゐた間に、いつのまにか何處もかしこも枯葉の山、――そんな中から可哀いやな、龍膽の花がちらほらと小さな顏を出してゐる。ひさしぶりに其處で夜を過ごすことにした、ファイア・プレェスのある廣間なんぞは、病中散らかしたまんまにして置いたもんだから、いかにも山小屋然となつてゐる。
 おまけに、日が暮れると一しよに、急に風が物凄く吹きだした。ときどきそんな野分めいた風がさつと屋根や窓にそこらぢゆうの枯葉を夕立のやうにぶつつけてゐる。そんな枯葉の或物は窓や戸の隙間なんぞを見つけては、無遠慮にコッテエヂの中まで飛び込んでくる。そして僕たちのまはりで、一塊りになつて、くるくると旋囘してゐる。僕は無關心を裝つて、あかあかと燃やしたファイア・プレェスの前で、ほんの仕事の眞似、女房もかういふ山住みには大ぶ馴れて來たと見え、僕の傍で落着いた顏をして手紙を書いてゐる。さういふ僕たちを恰も慈むかのやうに、マントル・ピイスの上から、この夏釋迢空さんが僕たちのために書いて下すつた朱の短册が、森嚴に見下ろしてゐる。

人も馬も道ゆきつかれ死ににけり。旅寢かさなるほどのかそけさ



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