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パイプについての雑談
パイプについてのざつだん
作品ID47884
著者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第四卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年8月30日
初出「帝国大学新聞 第三百五十七号」1930(昭和5)年10月27日
入力者tatsuki
校正者染川隆俊
公開 / 更新2013-06-19 / 2014-09-16
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 この二三日、咽喉が痛くてしかたがない。どうも煙草の飮み過ぎらしいのだ。
 それで、愛用のパイプを口にくはへることも我慢してゐる。
 ――だからといふのではないがひとつ、僕の古馴染みのパイプの惡口でも書いてやらうかと思ふ。

          [#挿絵]

 僕の愛用のパイプといつたつて、普通のブライヤアのやつで、ちつとも自慢するほどのものぢやない。
 何しろ、これを買つたのは、まだ僕が一高の學生だつた時分のことだ。その頃、僕のほかにもう一人、僕と同じやうに怠惰な學生が居て、そいつがある日、僕に向つて非衞生的な化學實驗室から逃出して草の上に寢ころびながら、パイプをふかふか吹かすことの樂しさを、教へたものだ。早速、僕はそいつの弟子になつた。そしてそのためには、つまり、パイプを手にいれるためには、讀みもしない原書を四五册賣り飛ばしさへすればよかつたのだ。思へば、僕もあの頃はひどく怠け暮らしてゐたものと見える。あの頃のことを思ひ出さうとすれば、いつもその友人と、草の上でパイプを吹かしてゐる光景しか浮んでこないのだから……

          [#挿絵]

 それから、その翌年だつたか(僕はもう大學生だつた)、僕たちの仲間のあひだにパイプが急に流行し出した。
 そしてそれは、毎月二三囘、「パイプの會」といふものをやり、大いに酒も飮み、パイプも吹かさうといふ程度にまでなつたのだ。そしてその會場に選ばれたのは、上野のとあるレストランの二階であつた。名前は、故あつて、いはない。……實はそこにひとりの可哀らしいウエイトレスが居て、その人を僕はひそかに好きになつた。好きになつてはならない人だつたのに。なぜかつてまア、それも、故あつていはれぬ。――さうして僕は一人でやきもきしてゐた。あの時の僕の馬鹿げた姿が、濛々たるパイプの煙にさへぎられて、僕自身にさへぼんやりとしか思ひだされぬことは、せめてもの仕合せといふべきか。

          [#挿絵]

 といつても、僕は年がら年中、パイプを吹かしてゐるのではない。ときどき思ひだしたやうにこれを取りだして、そしてそれに倦きるまで吹かしてゐるのだが、よく氣をつけて見ると、パイプを吹かしたくなるのはいくぶん季節と關係があるらしい。はじめてパイプを買つたのは確か九月の末であつたし、例の「パイプの會」の創立も、多分秋だつたと記憶する。
 どうして秋になると吸ひたくなるのだらうと考へたのだが、それは、あの火のついたパイプを掌のなかに握つてゐる感じ、――しばらくそれを握つてゐると自分の掌が小鳥でも握つてゐるやうに温まつてくる感じ、あれがさういふ季節にもつとも適するのではないかしらと思はれる。まア、理窟はどうでもいい。……
 ところで、ある年、僕がある山の中の温泉宿に滯在してゐて、そこに一人の友人が訪ねてきたときも、まだ八月だつたけれど、…

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