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翻訳のむずかしさ
ほんやくのむずかしさ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「大尉の娘」 岩波文庫、岩波書店
1939(昭和14)年5月2日
初出「書物」1950(昭和25)年8月
入力者佐野良二
校正者noriko saito
公開 / 更新2008-07-17 / 2014-09-21
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 飜訳文芸が繁昌だそうである。一応は結構なことだ。あの五十年という制限の網の目がだいぶ緩められて、生きのいい魚がこっちの海へも泳いできて、わが文化の食膳にのぼせられる。悪かろうはずはないが、物事には必ず善悪の両面がある。水から揚がるのは、いい魚ばかりとは限らない。お客さんは腹が空いているから何でも食う。そこで料理人は転手古舞で、材料の吟味はもとより、ろくろく庖丁も研ぐひまがないという景気になる。つまり濫訳の弊が生じるわけだ。もっともこれは、何も飜訳文芸に限った話ではない。需要の盛大が粗製濫造の弊を伴なわないで済むのは、よほど文化の根づきの深い国のことだろう。
 まあそんな騒ぎの飛ばっちりで、僕にも一つ板前の苦心談をやれという話になったが、実をいうとこれはちょっと困る。苦心談は要するに自慢ばなしだ。お座敷天婦羅にしたところで、長い箸でニューッとつまんで出される度に能書がついたのでは、お座も胃の腑も冷めてしまう。いわんや僕なんかの板前においてをやだ。いずれ僕もあと三十年もしたら浴衣がけで芸談一席と洒落る気になるかも知れないが、今のところはこの不細工な割烹着を脱ぐつもりはない。
 で問題を少しそらして、一般に飜訳のむずかしさとでもいったことについて、少しばかり書いてみたい。正直のところ僕は、飜訳という仕事がだんだん辛くなって来ている。あながちお年のせいでも、目が肥えてきたせいでもあるまいが、とにかく近頃は一行訳すにも、飜訳という仕事の不自然さ不合理さが鼻についてやり切れない。それで、たまに飜訳をやりだしても、一晩徹夜して三枚なんていう酷いことにもなりがちだ。そう凝っていたのじゃ間職に合うまい、と云ってくれる友人がある。大そう御苦心で、さぞ名訳が……と迷惑そうにおだててくれる編集者もある。だがこっちは、別に凝りも苦心もしていないのだから困るのである。徹夜の時間の大半は、今いった不自然感、不合理感との組打ちのうちに、ただ空しく流れているだけなのだから。こうなるともう何のことはない、一種の脅迫観念だ。
 世間に、横のものを縦に直す、という憎まれ口がある。けだし飜訳という仕事のからくりをずばりと突いた名言である。なるほど飜訳はつまるところ、It is a book をIt is a bookと書きかえるだけの仕事に過ぎないかも知れない。至極ごもっともな話ではあるが、どうやらわれわれは、この名言の適切さにいい気持になった余り、その底にひそんでいる重大な悲劇に気がつかない傾向があるようだ。横のものを縦に直す、ということが、実は、横坐標に盛られた或る数値を縦坐標に盛り直すという飛んでもない奇術であることに、存外気がつかずにいるわけである。
 Traduttore, traditore. というイタリアの古い警句があるそうだ。その意味は、飜訳者は裏切り者、ということだ。ところが、…

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