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「青猫」について
「あおねこ」について
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第四卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年8月30日
初出「『萩原朔太郎全集』第二巻「詩集・下」 第八回配本附録」小学館、1944(昭和19)年2月10日
入力者tatsuki
校正者染川隆俊
公開 / 更新2011-04-05 / 2014-09-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私は萩原朔太郎さんのことを考へると、いつも何處かの町角の、午後の、まだぱあつと日のあたつてゐる、閑靜なビヤホオルかなんぞで二人きりで話し合つてゐるやうな記憶が一番はつきりと浮んでくる。それだのに、萩原さんのほうでは、私のことを思ふときは、いつも山間のホテルの露臺のやうなところで二人で話し合つてゐる姿がうかぶといはれてゐた。……

 いまも、詩集「青猫」のことなど書いてみたいと思つてゐると、まづ、こんな或日の出會がよみ返つてくる。それは一九三五年の春さきだつた。私は或竝木のある裏通りで萩原さんにばつたり出會つた。その冬のをはり頃、私は山のサナトリウムから出てきたばかりだつた。
「ちやうど好かつた。君はまだ山のはうかとおもつてゐたんだがね……」
 さう云はれながら、萩原さんは、その裏通りに面して飾り窓に版畫などを竝らべた小さな店のなかへ私を連れてはひられた。その店はこのごろ詩集の出版などもやり、ちやうど萩原さんの「青猫」の[#挿絵]dition d[#挿絵]finitive が出來たところで、それへ署名をしに來られたのだつた。
「君にも上げたいと思つてゐたのだ。」
 萩原さんはさういふと、最初手にとられた一册に無ざうさに署名をして私に下すつた。それから店の主人などを相手に他の本へ署名をせられたりしてゐたが、その傍らで、私はそのいただいた本を披らいて、なにげなささうにそのなかの插繪を見たりしてゐた。

 しかし私はそのとき心のうちでは、さまざまなことを思ひ出してゐた。十年ばかり前の、もつとざらざらした紙に印刷され、もつとちぐはぐな插畫の入つてゐた「青猫」の初版が出た當時のこと、私がまだ十九かそこいらでその詩集をはじめて求め得て、黒いマントのなかにその黄いろいクロオスの本をいつも大事さうにかかへて歩いてゐたことなどを、それからそれへと思ひ出してゐた。さうしてその頃の自分にとつては、何處かしらない、遠い山脈にとりかこまれた、廣い平野のまんなかのちひさな町で孤獨な生活をしてゐるその詩人が、自分なんぞからははるかに遠いものとして、それゆゑ一層切なく、思慕されない日とてはなかつたのだ……
 さういふことまで思ひ出せば思ひ出すほど、私はそのとき、その詩人の傍らにあつて、いかにも感慨深げに、默つたまま、その「青猫」の新らしい[#挿絵]dition を手にとつて見てゐた。

 夕がた近く、私達はその版畫莊を出て、また竝木のある裏通りを歩き出した。歩きながら、私はまだときどきその「青猫」をいぢつてゐた。私がややながいこと表紙のいくぶんビザアルな猫の繪に見入つてゐると、
「ふふふ、その猫の繪は自分で描いちやつたんだ。」
 さう、萩原さんはさもをかしさうに笑つて云はれたが、それから歩き歩きこんどの[#挿絵]dition でいろいろ苦心した點などをいかにも快心らしく話し出された。
 私…

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