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或女友達への手紙
あるおんなともだちへのてがみ
著者
翻訳者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第五卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年9月30日
初出「四季 第八号 リルケ研究号」1935(昭和10)年5月20日
入力者tatsuki
校正者岡村和彦
公開 / 更新2013-03-22 / 2014-09-16
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 このリルケの手紙は、彼の死後、程なく、「新佛蘭西評論」(一九二七年二月號)に發表せられたものである。この手紙と共に、J・P(編輯者のジャン・ポオランか?)と署名のある、リルケの死を悼む文が載せられてゐる。(文中、筆者は詩人が既に危篤の状態にありながら、醫者の死ではなしに、彼自身の死を死ぬことを欲して、遂に一切の注射を拒絶したといふ插話を引いて、大いに驚歎してゐる。)この手紙の宛てられた女友達は、誰であるか判明しない。が、若い閨秀畫家らしいことはその手紙の中に見えてゐる。詩人が晩年佛蘭西語で書いた小さな詩集「窓」の插繪を描いてゐるBaladineなぞがちよいと譯者の頭には浮ばないものでもない。それから何ともことわつてゐない所から見ると、この手紙もやはり佛蘭西語で書かれたものであらうと思はれる。
 手紙の冒頭で詩人の云々してゐる詩は「ドゥイノ悲歌」(Duineser Elegien)である。それからもう少し先のところで、マルテとあるのは、あの有名な「手記」の主人公マルテ・ラウリッヅ・ブリッゲを指してゐることは言ふまでもない。

          [#挿絵]

 私が肉體を無視してそれを魂の供物にするやうな者でないことは、あなたも御存知でせう。私の魂はそのやうな方法で奉仕されることを好みませぬ。私の精神のあらゆる飛躍は私の血のなかに始まるのです。自然全體のいとも見事な樂しい調和に存するところの眞の精神的愉悦を取りちがへぬやうにと、私が自分の仕事に先立つて、まづ、素直に、純粹に、苛立たず、亢奮することなく、生者として(en vivant)一切の準備をするのは、それがためなのです。唯、餘儀なくされてゐた長い中絶のおかげと、それから非常に價値はあるのだが何としても一九一二年の日付をもつてゐる諸感動の上に立ち戻らねばならないので、私は異常な立場に陷つてゐるのです。もう暫くすれば、恐らく私は、一昔前から始つてゐる、これ等の歌が一體どんな風にして高まつて來たのやら、その状態がまるきり解らなくなるのでせう。若しあなたが他日これ等の仕事の二三をお知りになつたら、私を一層よく理解なさるだらうと思ひます。自分で説明するのはなかなか難しい。
 若し私が自分の良心の上に身を傾けるならば、私はそこに嚴格に命令的な一つの法則をしか見出さないでせう。――即ち、自分の中に閉ぢ籠つて、自分の心の中心から自分に云ひつけられた仕事を一氣に仕上げること。私はそれに服從します。――何故なら、あなたもよく御存知のやうに、もうかうなつた以上は、私はさうすることしか欲しないからです。そして私は自分の獻身と服從とを爲し遂げぬうちは、自分の意志の方向を變へるべき何等の權利をも持たないからであります。
        ・・・・・・・・・・・・・・・・・
 私はいま「下仕事」(Vorarbeiten)を殆どすつかり…

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